白い手首を掴んだ時、二人を取り巻く環境には遠くで鳴くカモメの声しかなかった。掴まれたほうは抗うか従うかのどちらを選択する素振りもなく、この突然の行動の先を読もうと瞳をぱちくりとさせている。
 ゾロは、左手で握る手首の熱を感じながら、頭上から降る真っ直ぐな視線を受けとめる。自家製アイスを差し出してきた手を反射的に拘束したのにはきちんと理由があった。確かめたいことがあったのだ。

「? 酒か? そいつにラム入ってるけど」

 サンジはもうゾロの手に渡ったアイスの存在を今一度顎で示した。掴まれた右手は別に痛いわけでもないけれど、いつもはカッターシャツを愛用している彼にして珍しくTシャツを選ぶほど、ここ最近の陽気が暑い。人肌に触れられた部分が余計に熱く感じるので、たとえ360度からの潮風だろうとこれに全身晒されるほうが快適に思える。
 だが、ゾロはいつも通りの仏頂面を崩すことなく黙りを決め込んでいる。手首が解放される気配は一向にない。さっさと食わなきゃ溶けるだろうがと、目下のアイスに思いを馳せた。するとまるでその思いが通じたかのように、ゾロが空いている右手でアイスの小山をスプーンに盛る。そのまま口に運ぶんだろうと成り行きを見物していたら、ゾロは右手にスプーンを携えたまま、もちろん左手は彼の手首を掴んだまま、のっそりと立ち上がった。
 サンジの右目が怪訝の色をしていっぱいに開かれる。アイスを食べるだけだというのにわざわざ立ち上がる意味が分からない。ついでゾロは若干溶け始めてしまった小ぶりなそれをサンジにつき出してきたので、ますます疑いの視線は鋭くなると共に、彼はまさかとひっそり冷たい汗を額に流した。ここにきて始めて、拘束を解こうとする力が手首に込められる。

「なに…」

「食え」

「は?」

「いいから、口開けろ」

 ずずい、とスプーンが近づいてくる。サンジは思わずごくりと唾をのむ。のんでやり過ごしたい事情があった。
けれどそれを見たゾロが瞳を細めたので、はっとして顔を反らす。しかしすぐにスプーンが追いかけてくる。

「そ、そりゃてめェの分だっつの!」

「すぐに食う。その前にてめーだ」

「あっ、ちょ、オイ!」

 いよいよ本気で腕を払おうとしてきたので、ゾロはサンジの手首を一瞬離して、すぐに今度は腰に回す。それで引き寄せてしまえば重みのある蹴りも出せなくなって、なんとももどかしい地団駄を踏むだけだ。スプーンが追跡した先の唇は真一文字に閉ざされる。これでゾロの臆測が確信に変わる。

「開けろ」

「……」

「くち」

「……」

「…おれのくわえる時みてェにでけェ口を開けろってんだ!」

「なっ…! んむっ!」

「おし、入ったな」

 挑発に容易く乗ったサンジが反論しようと思わず口を開いた瞬間を見逃さず、ゾロがようやっとアイスを乗せたスプーンを滑り込ませる。
 すると目の前の瞳が大きく見開かれ、わなわなと体を震わせた。ずぼりとスプーンを引き抜くと同時に腰から手を離せば、途端に右の頬を押さえてしゃがみこんでしまった。金髪の脳天を見下ろしながら、ゾロがため息を吐く。

「やっぱり虫歯か。んなになるまで我慢しやがって」

「…っ! …て、め…! っつ…!!」

 言い返す言葉を紡ぐのもままならないようで、圧し殺したような低い声がくもって聞こえてくる。
 ゾロはもう五日も前から彼の虫歯を疑っていた。まさか二の句も告げれないほどに重症だとは思いもしなかったが、推測するには十分足る行動が度々あった。というのも、半袖を着ていなけりゃ甲板に出れないくらい、この海域は湿度温度がともに高い。当然クルーが要求するおやつのメニューは冷たい物ばかりになる。フルーツポンチにゼリー、アイスにかき氷。望まれたならサンジは迅速にリクエストに応えたが、どうも料理長本人がそれらを食べている様子がない。食事中もホットドリンクしか口につけていなかったし、風呂あがりだというのに水さえも飲まないのだ。ゾロはその様子を時に同じ空間で、時に船尾からラウンジの窓を通して確認していた。そして本日のおやつも冷凍品だ。うたた寝の最中にアイスをねだるルフィの馬鹿でかい声を聞いたので、白黒ハッキリつけようと決めたのだ。
 体育座りのサンジの腕を掴んで引っ張る。歯の痛みからか、身体には妙な力が入ってしまっているようで、なかなか一度促しただけでは立ってくれない。

「チョッパーんとこ行くぞ。歯医者じゃなくても医者に違ェねーんだ。なんとかしてくれんだろ」

「……クソヤローめ。歯の治療ってものすげェいてーんだぞ。おめェにも味わわせてやりてェ…」

「放っといたら余計悪くなんだろうが。立てよ。じゃなかったらここに呼んでやるか? 治療拒否で駄々捏ねてると聞きゃ冷やかしのギャラリー付きですっ飛んで来るわな」

「ばっ…ふざけんな! 誰が駄々っ子だ誰が! レディ達にんなみっともねー姿見せられっか!」

 煽ればギロリと下から睨み上げてくるが、やはり相当痛いんだろう。瞳には薄い涙の膜が張っているようだった。
 ゾロは鼻で笑って、勢いよくサンジの腕を引く。今度は素直に立ち上がったと思えば、無造作に手を振り払われた。そして相変わらず右頬を撫でたまま、不機嫌そうに靴を鳴らして、甲板で兄貴分二人とはしゃぐピンクの帽子に会いに行く。
 ゾロは置いたままにしていたアイスを拾い上げて、もう半分は液状になってしまったそれを飲むようにして食べながら、不機嫌な猫背の背中を見送った。
アイスは溶けても、美味しかった。こんなに美味いんだから、作った本人だって実際に食べて、その頬を落としてみればいいのだ。









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