分厚い雲の下、星の見えない夜は海も空も暗いまま、完全なる闇をメリー号は勇敢に前進する。
低気圧が押し寄せているとナミが予報した通り、船内は底冷えのする寒さだ。つい昨日までは半袖一枚で甲板に出られていたというのに、グランドラインとはどんなに気紛れかを実感する突然の気候の変化に、ホットココアを召し上がった後、さすがの年少三人組も早々に床についた。頼みの水道管が凍結したのだ。風呂に入れない限りそれしか暖をとる方法がない。

「あークソ寒ィ! 鼻から氷柱が垂れそうだ」

 お子様な3人に暖かい飲み物を振る舞った後の洗い物はさすがに明日へと回して、サンジはずびずびと鼻を鳴らしながら男部屋へ逃げるように飛び降りた。別に焼けるような冷たさの水に手足の末端を晒されたわけでもないのに、どんなに擦り合わせても一向にぬるい摩擦熱ではほんの少しの気休めにもならない。吐息を吹き掛けたって一瞬で寒気の中に溶けていく。その様が白い蒸気となって目に見えて分かるもんだから、余計に虚しさと切なさが尾ひれに付いて回るのだ。
とっとと毛布にくるまってこの夜が明けるのを待つのが賢明な判断であろうことは、みのむしのように体に毛布を巻き付けて、顔だけしか露出していない3人を見れば分かることで、サンジは悴んでまともにくわえられもしない煙草を靴底に押し付けた。それから感覚すら無くなってきた両手で毛布を引っ張り出そうとかがんだ背後で、さっき自分がいそいそと滑り込んだと同じように、一瞬の冷気が室内に入り込む。
 振り返ると半袖のままのゾロがいた。見るからに寒そうなその姿に、一応しっかりコートを羽織っている筈のサンジの背に悪寒が駆け抜ける。他があまりに頼りない格好だから、普段から着用の腹巻きだけが優秀な防寒具に思えるほどだ。

「…常々そうじゃねェかと思ってはいたが、念のため聞いてやる。この極寒の中で何してやがった」

「言うほどまだ寒くねェ。裏で筋トレ」

「よし決定だ。明日っからお前のことはマゾロと呼んでやろう」

「センス皆無な渾名付けんじゃねェ! 人をマグロみてェに呼びやがって」

「ド阿呆め。それじゃマグロに失礼だ。おめェと違って植物じゃなく動物だからな」

「…そこ動くなよ。今ミンチに切り刻んでやる」

「まァ待て」

 柄に手を伸ばしたゾロに、サンジは両手を上げて近づいていく。無言のまま、さながら白旗を掲げるようなポーズにゾロは怪訝な表情を丸出しにしたが、そんな視線など構わず歩み寄って来たサンジは、抱き寄せるみたいにその手を背中に回して、かと思いきやそのまま腰に腕を下ろして、ずぼりと一気に腹巻きの中へ両手を突っ込んだ。

「…てめェこりゃ何の真似だ」

「こんな薄着で寒さ感じねェなんてこの腹巻きに秘密があるとしか思えねーから検証してんだ」

「口の減らねェ野郎だな。人を湯たんぽ代わりにしてんじゃねーぞ」

 言えばサンジがくつくつと笑いを堪えた。ゾロはそれを自分の鎖骨で感じとる。おでこをぴったりくっ付けられているから、小さく笑う度に揺れる金髪が鼻腔を擽った。腰には随分と冷えた両の手の感覚がある。腹巻きの中でそれがきゅっと自分のシャツを握ってきたのも、当然ゾロには直に伝わっている。伝わったからこそ、敢えてそこに言及することをやめた。目的が冷えた指の先を温めることだろうがなんだろうが、今このタイミングで言葉を発すれば、それがたとえからかいの類いじゃなかったとしても恐らくサンジは離れていく。こんな風に大人しく近寄ってくること自体が珍しいことこの上ないのだ。もうしばらくは稀に見る事態を見守るのも面白い。
 とは言いつつ、まるで抱きつかれているかのような体勢では、ゾロも思うところがある。
貸してやっているのは肩と腹巻きだけだが、時間が経過するにつれて少しずつ触れている場所にかかる体重が重みを増していく。髪は相変わらず鼻を擽って、柔らかいそれらは時折いたずらに、頬にまで擦り寄るように触れてくる。木偶の坊で居るには勿体ない状況ではないかと思えてしまうのは背中が近いからだろう。少し猫背になっているすぐそばの背中へ回したくなる両手が、自身のポケットの中でさ迷っている。拳を握ったり、解放して力を抜いてみたり。何度かそれを無意識に繰り返して、けれど葛藤するという行為に対して飽きが来るのもまた早いゾロのこと、そう何分も悩むことなく、無言のまま両腕を前へ伸ばそうと身動いだ。

「おし、だいぶあったまったな。おめェはもうお払い箱だ。次はこっちに頼む」

 しかし抱き寄せようとしたその時と同じくして、サンジは潔く腹巻きから手を退ける。挙げ句の果てにしっしと邪険な手つきまで披露してくれたお陰で、所在を無くしたゾロの手は宙を掻き、額には雷みたいに太い青筋が浮かび上がった。
 サンジはあっけらかんとゾロから離れて、毛布の中に埋もれて爆睡しているチョッパーをハンモックから抱き上げる。そのまままるで抱き枕みたいに胸に寄せて、その状態のまま自らの上へさらに毛布をかけて寝転んだ。

「っはーあったけェ。冬場はチョッパーと寝るに限るぜ」

 己は温泉にでも浸かっているのかとツッコミたくなるような呑気な声を上げて、サンジは真面目に就寝の意を示した。
 その様子にゾロの両手のフラストレーションは高まるばかりだ。今ではもうまるで存在すら意識していないかのような素振りに腹が立つ。

「…わ! なんだてめっ…入ってくんな!」

 ゾロにとってはどうにも面白くない展開なので、掛けたばかりのサンジの毛布を無遠慮に剥いだ。
ぎょっ! とこちらを向いた青い瞳を見てみぬふりして、文句の相手もせずに同じ毛布に潜り込む。

「狭ェよマゾっ子! おれァてめェと違って筋肉の布団まとってねーんだ!」

「寒ィから暖とるだけだ」

「嘘をつけ! お前さっきそれほど寒くねェっつってただろーが!」

 チョッパーを起こさないように、という配慮の念があるのだろう。文句を言いつつ、毛布の中の黒足はおとなしい。代わりに右手で形ばかりの裏拳をかまそうとしてくるが、ゾロはその手首を掴んで毛布の中に押し戻す。それからやっと、両の手で願望を叶えることが出来た。

「……チョッパーはやらねーぞ」

「別にいらん」

「んだそれ。やっぱり寒くねェんじゃねーか」

 背後からぎゅっと腹に回った両手に、サンジが渋々と体の力を抜いた。そのうなじに鼻を擦り寄せて、ゾロは静かに瞳を閉じる。こうして温もりをより一層感じられるなら、寒い夜もたまにはいいのかもしれない。
とりあえず今夜はいつも以上によく眠れそうだと思ったその胸の内は、当人たちが知らないだけで、実は同じ暖かさを共有していたりするのである。




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