食卓は戦場である。
サンジはバラティエを出てこのメリー号に乗り込むようになってから、毎度毎度の食事の度にこれをいつも胸中で思う。一人、満腹中枢のイカれた野郎がいるせいだ。そいつの手や首が伸びるせいで、腹が満たされるまで他のクルーが食料を奪われることは、もう恒例の行事になりつつある。最近じゃあそれに対する防御法を各々で開拓しつつあり、だからこそ余計に戦場は激戦を極めている。
 しかし毎日三食プラスおやつのサイクルの中で、朝食に関しては比較的テンションが低い。まだ寝ぼけ眼のまま箸だのフォークだのを握っている者もいる。朝があまり得意ではない連中が多いので、なかなか全員が食卓に揃うこともないのが現状だ。
 実際、今日だって席が一つ空いている。うつらうつらしながらも朝食の七草粥をテンポ良く口に運んでいるルフィを尻目に、サンジが自分のれんげを皿に置いた。

「一匹いねェな。…まさか共食いを予想してボイコットしたんじゃあるめェな」

「共食いってお前…。ゾロなら起こしても目ェ覚まさなかったぞ」

「いつも通りっちゃいつも通りだが…食ってもらわねェと困る。粥は出来立てが一番美味ェってのに」

 仕方ねェなと呟いて立ち上がったサンジを、ウソップが目で追う。鍋を傾けて残りの七草粥を空き皿にはらいトレーに乗せて、れんげと緑茶、焼き魚とお新香を添えてラウンジを出ていった。
 何だかんだと世話焼きだよなァと、ウソップは頬に米粒をくっつけながら自分の粥をゆるく混ぜる。ちらりと斜め前を見れば、サンジの座っていた席のテーブルには、まだ粥の半分残った皿が置いてある。冷めたら温め直せばいいのだろうが、自分の分を後回しにしてまで出来立てを配給しに行く姿は、世話焼きと言わずしてなんと表現したらいいのだろうか。
 一先ずルフィが本格的に覚醒する前に己に分け与えられた食事を済ませてしまおうと、残りを胃袋に放り込むことにする。そしたらサンジの分にラップをかけて、ルフィに横取りされぬように見張っていてやろうと、ウソップは皿を傾ける角度を大きくした。



 男部屋に入ればゾロがソファの上で大きく寝そべっていた。
三本の刀はいつもそうしているように、すぐそばのソファの背に立て掛けてある。腹巻きは珍しくしていない。代わりに洗濯物の籠にそれはあると見た。そして自分で洗わせようと決意する。

「ご飯ですよー」

 遠慮の無い大きさの声で呼んでみる。しかしうんともすんとも言わないゾロの姿は、悲しいことにもう何度もこの目で見てきた光景だ。
粥の入った皿からは依然として湯気が立ち上っていたが、あまり時間を置いてしまうと此所まで持って来た意味がなくなる。サンジは一先ずそれをテーブルの上に置いて、ゾロの横の僅かに残っていたスペースにどっかりと腰掛けた。二人分の体重だ。そのせいでソファは大きく沈んだというのに、ゾロはそれでも起きない。
サンジはおもむろに彼の鼻をつまむ。ほんの少し眉が歪んだ。続いて閉じていた唇がうっすら開かれる。かかんで耳を近づければ呼吸音が聞こえる。サンジは眠り続けるゾロを見つめて、ただ唇を重ねるだけのキスを仕掛けた。

「……?」

 鼻をつままれた上、おまけに口付けで呼吸を封じられる。そうすればさすがのゾロも意識が浮上したようで、徐々に眉間の皺が深く刻まれていく。少しも艶っぽくないと言えば嘘になるが、どちらかと言えば苦しさのほうが全面に押し出された小さな声が漏れた。

「…んっ……っ? う…っ…っ!」

 それを間近で見つめながら、サンジはしまったと一つ後悔をした。両手を封じておくのを忘れたおかげで、ぽかぽかと胸やら背中やら後頭部を殴られる。酸欠で無理やり起こされた為、拳には本来の三割にも満たない力しか入っていないが、それも次第に強さを増してくる。近すぎてよく分からないが、なんだか額の色も赤みを帯びてきた気がする。これが青に変わったらチョッパーを呼ぶ羽目になるので、さすがにもういいかと鼻と唇を解放させれば、ゾロは音が鳴るほど大きく忙しなく息を吸い込んだ。

「て、んめェ…! 朝っぱらから何しやがんだ! 殺す気か!」

「いいご身分だなクソ剣士。このおれのキスで目覚めるたァなかなかねーぞ」

「んな起こし方誰が頼むか!」

「あーあーそんなに興奮すっと」

「……!」

 思いっきり息を吸い込んですぐに大声を出したものだから、悪態、と言うより当然の抗議の後に咳き込んでしまう。しばらく経てば呼吸は平常時と大差なく落ち着いたようだが、目尻には生理的な涙が残ったままだ。

「メシだ。ちゃんと食え」

「…そうやって普通に起こしゃいいだろ」

「起こしたさ。それでも起きねェお前が悪ィ」

 サンジはゾロの左の頬に手を添えて、右目に唇を寄せた。反射的に瞑ったそこにキスをして、僅かばかりの涙を吸い取る。左目も同じように口付けようとしたが、それは触れる前にしっかり力の戻った右手で払われてしまった。

「余計なことすんな。メシ」

「…つまんねェな。起きた早々亭主関白かい」

 ほら、とサンジがトレーを差し出す。受け取ったゾロとの間に湯気はまだ存在している。くん、と匂いを嗅いだゾロは、れんげを手にしながらへェと呟いた。

「七草か」

「お、良く知ってる。さすがは同胞」

「…お前もういい。あっち行け」

 サンジのからかいにこれ見よがしにため息を吐いてみせたゾロは、それでもれんげをしっかりと握った。だからサンジはまだ彼の横に居座れる。拳も刀も向けられる気配がない。口喧嘩をどれだけこなしたと思ってる。それが真意か否かはすぐわかる。
 ゾロは一口を大きく掬って口内に押し込めた。もぐもぐと動く頬の膨らみは、みるみるうちに無くなっていく。決して美味いのうの字も口にしないが、れんげの進むその速さだけでサンジは充分だった。頬杖をついて見守って、一緒に乗せてきたお新香を気紛れにくすねる。横から伸びてくる手にゾロは何も言わなかった。

「…七草食う意味知ってるか?」

「ああ、知ってる」

「…あっそ。じゃあ、いい」

 無病息災で皆が一年を過ごせるように。ただの迷信でも、則って損する謂れはどこにもない。たまたま食材も揃っていたから、だから作ったに過ぎないのだ、この粥は。それを願うのは別にお前だけじゃない。皆に平等に食べさせているのだと言い訳もしたかった。
だけどサンジはそれをやめた。七草粥を作ったこと、それを綺麗に平らげたこと。今年もよろしくが言えない二人だから、たったこれだけで伝わる物もあると思えたのだ。










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