視界は暗いが、意識まで一緒に手放しているわけじゃない。
漆黒じゃないんだ。微かな光を帯びた、彩度の明るい黒をしている。この向こうには太陽がある。おれはそれを、瞼の裏を通して見つめている。
枕にしているのは両の腕。それらをクロスさせて頭を乗っけているから、実は少し痺れを来している。だけどそれでも、天を仰ぐ。瞑った瞳で光を遮り、狸寝入りを辛抱強く演じてみせる。
 その甲斐あってか、ようやく右側の空気が動いた。気配がまだ遠いのは、近づこうか見て見ぬふりを決め込もうかを選択中だからなのかもしれない。
おれは睫毛ひとつ動かさぬように注意を払って、神経を研ぎ澄ませた。見目麗しい女性達に対してだってこんなに慎重にはならないだろうってくらい、石橋を叩いている。
 気配はそう長くない逡巡の後、こっちにやって来た。うっかり左の口角を緩ませてしまいそうになってから後悔する。普段通りに煙草をくわえてりゃよかった。そしたらそいつを千切れるくらい噛みしめて、力強く真一文字を結んでいられたかもしれない。
 すぐ傍で足音が止まった。次に衣擦れる音と共にぐっと気配は近くになった。恐らくは斜め前あたりだろうか。ちょいと頭を浮かせてその下の腕を伸ばせば、すぐに触れられそうだった。
 なんだ、腰を下ろすのか。
てっきり嫌味な台詞を吐いて、腰に提げてるその切っ先を向けてくるものとばかり思っていた。寝穢い野郎の寝床と化した、日当たり抜群の船尾を占領しているのだから、文句のひとつはデフォだろうと。
そんな予想に反して、実に静かな時間が流れる。良い午後だ。おやつをねだる腕白小僧たちの胃袋を、先手を打って既に膨らませてやったのが功を奏したか。日射しも非の打ち所がないだけに、気を抜くと本当に眠ってしまいそうだ。というかいやに静かなだけあって、瞳を開けば視界に入るはずの芝生頭が船を漕いでいるのではないかと思えてきた。
 おれはそうっと、見つめる対象を黒から青に移した。思った以上に鮮烈な陽の光を吸い込んだ眼は一瞬眩んだけれど、少し経てば蒼穹のその翳りのなさを視覚で判断することが出来た。それから少し視線を泳がせば、光を反射するピアスと出会う。斜めに光るそれは、持ち主が俯いていることを示している。その手元で何をとさらに下を確認すれば、ご丁寧に愛用のバーベルの錘を磨いている。
 そりゃそうかと納得出来た。食う、呑む、寝る。一日の生活サイクルがこれらプラス鍛練のみと来たもんだ。よくもまあ頭が沸かないものだと感心する。が、あと一つ最近増えた日課があったのを忘れていた。本当は忘れたわけじゃないが、そういう体裁を整えていたいという意地が、勝手に表現を選ばせる。だってこいつにとってのその一つを、このおれが共有しているから。二人でいなきゃ出来ないことが、いつの間にか日課になっていた。

「…目ェ醒めてんならさっさと退け」

 こっちを見向きもせずに偉そうに言いやがる。
そのくせ本気で寝床を奪い返そうとはしない。
おれは笑った。今度はちゃんと、笑いたいと思うのを我慢しなかった。

「まぶしい」

「鬼太郎が何言ってんだ」

「お前もっと後ろに下がれ。そうすりゃちょうど右側陰る」

「面倒臭ェ。おめェが目閉じてりゃいいだけの話だ」

「じゃあ閉じてる」

「待て、寝んなら他所行け」

「寝ないで、閉じてる」

「……」

 沈黙は波風に紛れる。
痺れた腕を伸ばした。伸ばした先に温もりがあった。
それが覆い被さるのを感じて、瞳を開く。間もなく視界は眩しいばかりの蒼から緑へ。逆光のせいでそれは見えなかったけれど、重なった唇は、確かにおれと同じ弧を描いていた。









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