生傷が絶えないクルーの船は大変だよドクトリーヌ。

 甲板で一人、燦々と降り注ぐ陽光で乾燥させた薬草を細かくすりつぶしながら、チョッパーは白銀の城の中で今も悠々自適に暮らしているであろうかの人を思い浮かべる。
青い海とルフィの背中に憧れて城を飛び出し、海賊の一味になって冒険を繰り返して、ハンモックに揺られて眠ることにずいぶん慣れた今でもふと、師でもあり、母でもあるあの豪快な笑顔に語りかけていることがある。
 今日はルフィとウソップが怪我をした。メリー号を襲撃しようと尾ひれを震わせて海上に飛び出した海王類と、じゃれあうみたいに喧嘩して付いた傷だ。ナミの指揮で船はあの白銀の世界とは180度正反対の夏島近海を前進している。暖かい海に生息する魚達は本当に威勢が良くて、好奇心旺盛に立ち向かうルフィの勇姿に甲板でエールを送っていたウソップはそのとばっちりを受けたのだ。

「かすり傷でよかったけど、みんないつも無茶するからな」

 だから薬のストックはありすぎるぐらいあったほうがいい。本当は船医なんて必要とされないほうがずっと望ましいことだけど、そんなアドバイスをしたところで聞く耳を持つ筈もない男たちを、チョッパーは大いに尊敬していたりもするのだ。
 蹄で器用に擂り粉木を掴んで、サンジが貸してくれたすり鉢の中の薬草を細かくしていく。
粉にした薬草は長期保存に適している。調合も楽だし、練り込んで塗り薬にも応用できる。さすがは夏島特有の気候のおかげで、薬草の乾燥具合は上出来だった。
 だがしかし、それがトナカイのチョッパーには辛くもあるのが悩みの種だ。ナミが買ってくれたタンクトップを脱いでパンツ一丁になってもまだ暑い。一生懸命薬をすりつぶすあまり、だらだらと汗が流れて止まらなくなってきた。

「だめだ、サンジにジュースもらおう」

 ちょこんと舌を出して体温調節を試みながら、足早にラウンジへと向かうことにする。みかん畑の日陰で取り組むことも出来るけど、なるべくなら良い乾燥状態を保ったまま仕事を終わらせてしまいたかった。
 陽はまだ高いけれど、今日の夕飯は釣りというより格闘の末にルフィが勝ち取った魚の数々が振る舞われる予定だと言っていたから、その膨大な食材を有効活用する為に早くからサンジは己の城に籠っているはずだ。
 しかしジュースのおねだりを目的にその片足を踏み入れそうになったところでチョッパーははたと気づく。
ラウンジにはいつものピンクのエプロンをしたサンジと、珍しく大人しくテーブルについているゾロがいた。
この二人とケンカは切っても切り離せない。というよりケンカあっての二人だろうという認識しか持たないチョッパーに目の前の図は驚愕で、それと同時に興味深かった。普段から顔を合わせれば言い合いになる彼らの間に、沈黙が漂っている。チョッパーはいつもなら逆だろ! とつっこまれる身の隠し方を間違えずに正しく実行して、しばらく己の好奇心に従ってみることにした。
一体この二人はどんな会話をしているのだろう。茹だるような暑さは、気づけばすっかりどこかへ行ってしまっていた。

「おい」

 ゾロがサンジの背に声を掛ける。チョッパーはごくりとその喉を鳴らす。
サンジは沈黙を守ったまま、けれどその数秒後にくるりと振り返って、無造作にパンの耳を入れた皿をゾロの前に置く。
マナーに気を遣った置き方でもなんでもないからゴトンと大きな音が立ったが、サンジは何も言わずにまたキッチンに向かった。
ゾロもまた何を口にすることもなく目の前のそれに手を伸ばし、カラリと一度揚げられたと見られる黄金色のパンの耳を一つ摘まんで、あんぐりと口を開いたと思ったら一口で放り込む。小気味良い音が数回鳴って、それから急ぐように大きな喉仏が上下した。香ばしい匂いと実に美味しそうなゾロの食べっぷりにそれを見たチョッパーが涎を垂らす暇もなく、次々に皿の中の揚げ物は減っていく。
けれどついに完食かと思われたその矢先に、ゾロは再びサンジの背に一言かけた。

「おいコック」

 無遠慮な声音がもう一言を紡ごうとしたが、反射的に冷蔵庫から小さな酒瓶を取り出したサンジがそれを遮る。
そして先ほどよりさらに大きな音を立ててゾロの前に無言で酒を置いたと思ったら、また夕飯の仕込みとおぼしき作業に戻ってしまう。
 この短い時間でデジャヴを見たチョッパーは静かなる二人のやりとりの無駄のなさに感心した。
 これは以心伝心というやつではないだろうか。だってゾロは直接何を要求したわけでもないのに、今だって悪びれた顔もなく当然のように出された酒を飲んでいて、いつも通りの柄の悪い目付きだけは健在でも、サンジはサンジで無駄口一つ叩かずに、あとは驚くほど素直でいる。
 成り立っていないようで成り立っている会話がある。
チョッパーは意外な二人の一面に大層驚いて、だから三度口を開いたゾロが今度は何を言うのかドキドキしながら見守ってみる。

「おいマユ…」

「だァもーうるせェな!」

 ところがどっこい、次ばかりはついにサンジが声を荒げてゾロを振り返る。
ガシャーン! とシンクに皿を突っ込んで、泡だらけの手でゾロの襟元を掴み上げた。

「昼間っから酒まで出してやってんだ! 余計なこと言う前にそれ飲んだらもうおめェどっかいっちまえ! 本来在るべき姿の藻になって海漂ってこい!」

「続きをやりてェ」

「あーあー何にも聞こえねェぞおれは! エサはもう出してやっただろ! ちったァ我慢を覚えろクソマリモ!」

「昨日は不寝番明けで眠気に負けただけだ。今日は負けねェ」

「得意気に言ったところで結局欲に忠実なだけじゃねーかアホ! 真っ昼間から頭沸かしてんじゃねェぞコラァ!」

 言葉の荒々しさがヒートアップするにつれてサンジがゾロの首を引き寄せるものだから、額と額をくっつけてのガンの飛ばし合いにもつれ込む。それからは先ほどの静寂がウソのようにラウンジから盛大に暴れる音が繰り広げられたので、チョッパーは巻き込まれないようにそろそろと忍び足で後ずさる。
 結局のところやっぱりケンカに発展してしまったようだが、何にせよ二人は思っていたよりずっとずっと仲が良いのかもしれない。
殴り合いのスイッチが一体今のどこにあったのか、あの暴力的なやりとりを見るだけではチョッパーには推測出来なかったけれど、サンジが突っ掛かっていったのだって、ゾロが言わんとしていることを悟ったからなんだろう。
 二人が仲良しだったら、おれはとっても嬉しい。
この船は温かなホームで、たった一つの船上で同じ時を過ごせる仲間は、紛れもない家族だと思えるから。
 チョッパーは嬉しさのあまり跳ねるように男部屋に降下して、ゴーグル装備で備品いじりをしていたウソップに今の今まで見ていた二人の様子を報告してみた。するとさらに予想を超える答えが返ってきて、チョッパーは感激して瞳を見開いた。

「なーに言ってんだチョッパー。そんなの今更すぎるぜ。なんたってあいつら、一緒に風呂入る仲だからな」

「それほんとかー!?」

 一緒にお風呂の意味は、たぶんウソップ自身でさえ良くは分かっていないだろう。レディファーストの後は年少三人組が順番に続いて、最後に大体あの二人のどちらかが風呂を使うのがお決まりの入浴サイクルになっているけれど、その最後の最後で二人共が入ったっきり随分とおこもりになっていることが度々あるのを知っているのはウソップだけではない筈だ。
ウソップにしてみれば体を洗う以外に一体どんな目的があって風呂場を使うのかが皆目検討もつかないけれど、興味本位で当の本人達に中で何をしているのかなんてことを尋ねたら、ケンカっ早い二人のことだ。それこそ大乱闘が勃発されてしまう気がする。だから彼らの「一緒にお風呂」は他クルーにしてみればもはや暗黙の了解なのだが、チョッパーは今しがた初めて知ったらしい。裸の付き合いまでしてるなんてものすげェ仲良しだな! なんて自分のことのように嬉しそうな顔をするチョッパーに、ウソップはもう一つ教えてやる。
 ケンカする程仲が良い。
この言葉を自分の口で繰り返してみたチョッパーは、ならばやっぱり薬は沢山作り置きしておいたほうがいいと、満面の笑みを浮かべて甲板へと駆け出していった。










<<