数日前から会話らしき会話をしていなかった。俺があいつに声をかければあいつは気まずそうに顔を逸らし。あいつは俺に話しかけようとしない。
どうしてこうなってしまったのか、俺はもう覚えていない。きっかけは多分些細なことだったんだろうと思う。だけど、意地を張り合っているうちに引っ込みがつかなくなって。どうして自分が怒っていたのか分からなくなった。
俺と月子がすれ違って会話をしなくなって、ギクシャクした関係になってしまっている。それが今の事実だ。
この状態を何とかしたいのに、どうして良いのか分からない。お互いに妙に意地を張っている。意地の張りどころを間違えた。「どうしてこんな風になっちゃったんだろうね」と言えればきっと解決する簡単な問題なのに、そうもいかない。それがもどかしい。
解き方は一つしかなくて、分からないようなら答えを見て理解したり先生に聞けばいい。だけど、この問題はそうもいかない。答えは沢山あるし、何より何が正解なのか分からない。先生にも聞けやしない、勉強なんかとは違うんだ、と言うことを実感する。
「おはよう。月子」
「おはよ、…う」
いつも通りに挨拶をするのに、一瞬で自分はこの人とは今こんな関係じゃない、と思い出したのだろう。挨拶がぎこちない。
みずみずしく潤った世界から水分が失われていく。花がゆっくりとしぼみゆくように。全ての水分が失われてしまったら俺はどうするんだろう?
花が水無しでは生きられないように、人が酸素無しには生きられないように。俺はもうあいつ無しには生きられないのだから。
「なぁ、月子」
「……どうしたの、錫也」
目を合わそうとしない。合いそうになっても目線を下げられる。それが俺を無性に不安にさせる。
そんな痛い顔をして笑わないで。俺の前で無理するなよ。
逃げようとする月子をソファーに座らせてから話した。
「月子聞いて。俺は、お前が無理に話そうとしたくないなら聞かない」
「……」
正面にちょこんと座る月子を見る。彼女はこんなに小さかっただろうか。体の線は細くて、俺が力一杯抱きしめれば壊してしまいそうだ。
「俺とお前がこんな風になっちゃったのは、俺が原因なんだって分かってる。でも、俺が何をしたのか分からない。
お前が話したくなるまで、話しても良いと思えるようになるまで待つ。いつまででも待つから、」
こめんな、と言っていつもするように頭を撫でた。月子はくしゃっと綺麗な顔を歪ませる。目にはいっぱいに涙を溜め、今にも泣きそうだ。
彼女をこんな顔にさせた原因は俺なのに、こんな顔を見たく無かった。だって、あいつにはずっとずっと笑っていて欲しいから。
じゃあね、と俺が席を立とうとした時だった。
「ま、待って錫也」
服の裾を掴んで行動を止める。
「どうし…」
「聞いて、欲しいの」
月子は俺の後ろに立っているからどんな顔をしているのか分からないけれど、切なそうな顔をしているあいつの顔がありありと浮かぶ。
「私も、どうしてこんな風になっちゃったのかわかんなくて、でも錫也には時間がたてばたつほど言いにくくなっちゃった……」
ほんの少し指先が震えていて……堪らなく抱きしめてしまいたい衝動にかられる。
「でも、何が悪かったのか思い出せなくて結局こんな風になっちゃって……ごめんなさい。こんな私だけど……嫌いにならないで」
話しながらも本格的に涙混じりの声になる。俺のために流す涙なんだろうけど、笑って欲しい。
「やっぱりお前が好きだよ。抱きしめて、もう離したくないくらい好き」
もう我慢なんてできなくて、ぎゅっと抱きしめた。この感覚、久しぶりだ。
久しぶりの月子の感触。久しぶりの月子の匂い。なにからなにまで久しぶりで、その全てが愛おしい。
「ねぇ錫也」
「ん?」
「もっと好きって言って?」
「今日のお前は大胆だな」
「あのね、好きって言葉は魔法なの。言われた人を幸せにする魔法」
「魔法……」
「そう」
だから、錫也。もっと言って?
なんて腕の中から月子は言う。言われなくても言うつもりだっただけに、先を越された気分。
「言うよ。一生。お前が俺の近くにいる限り」
声が涸れても、目が見えなくなってしまっても。俺はあいつに魔法をかけつづける。
俺は、お前のためだけの魔法使いになるよ。
魔法使いになりましょう