空が茜色に染まりはじめた頃、私は馬の背に揺られていた。とっくに外出してもいい時間は過ぎているのに、馬は屋敷に続く道とは違う道を進んでいる。

「ねえ、幸村。まだなの?」

「もう少しでございまする、今暫くお待ちくだされ」

私の乗る馬を引く幸村の声色は少し嬉しそうだった。


今から行く場所を、私は知らない。幸村は一体何処へ行くつもりなのかしら。そんな事を考えながら、馬の背から、景色を眺めて暇を潰していると、馬の歩みが止まった。それに気付いて幸村の方を見ると、とても嬉しそうな顔をして振り返った。

「姫様、到着でございまする!」

思ったよりもずっとはやく、幸村がいう目的の場所に着いたらしい。何処かの丘みたい。伸ばされた手に従って馬を降りる。

私を馬から降ろした幸村は、ひとりでゆっくりと前へ歩き出した。同じように幸村の方へと歩き出すと見えてきたのは広がる大地。所々建物が密集して建っていて、そのほぼ中心に、ひとつの大きなお屋敷が見えた。

「ここからは、甲斐の国が見渡せまする」

「これが、父上が治める国…」

幸村が指さす、目の前の景色は全て父上の治める甲斐の国。きっと真ん中の大きなお屋敷は私や父上の住んでいる躑躅ヶ崎のお屋敷ね。

「いつか、姫様が屋敷から出られるようになったら、一番最初にお見せしとうございました。」

その言葉に幸村の方を見ると、幸村は同じようにこちらを向いて、優しく笑った。

「ずっと側に居る。そなたを一人にはさせない。共に同じものをみて、共に成長していきたい」

「っ、幸村…」

幸村の口から出てきた言葉は、幼い頃に私と幸村が交わしたあの誓い。私が幸村に一番守って欲しかった約束。

「…すまぬ、十六夜。そなたと交わした約束、俺は守れていない…」

幸村が続けた言葉より、自分の名前に全ての意識が向かう。自分の名前なんて色んな人が呼んでくれて、聞き飽きてるはずなのに、とても懐かしく感じる。

「…なんだか久しぶりね。私の名前を呼んでくれるのも、そんな風に話すのも」

この前一度だけ呼んでくれたことがあったけど、その時私は意識がなかったから、数年ぶりのこと。だから懐かしい言葉が口をつく。

「弁丸兄様、」

「っ、俺…某はもう弁丸では…」

「…わかってる、だからもう貴方を兄様と呼ぶのはこれで最後」

「姫様…」

「幸村、私もう妹は嫌だわ」

ずっと弁丸兄様のことが好きだった。幸村じゃなくて弁丸兄様。守ってくれる人じゃなくて、側にいてくれる人。そんな存在としての幸村を…子供の頃の幸村をずっとずっと想い続けてきた…はずだった。

「私…貴方が好き」

「…っ!」

「弁丸兄様じゃなくて、真田幸村でもなくて…ううん、弁丸兄様だった頃の貴方も今の貴方も全部含めて貴方が好きなの」

まっすぐに幸村を見つめる。幸村は驚いたように目を見開いている。頬を赤く染めるのだろうと思っていたけど、驚きの方が強いのかちっとも赤くない。

「だから、妹としてじゃなくて、姫としてじゃなくて、ひとりの女の子として見て欲しい。姫じゃなくて十六夜として貴方の隣にいたいの…」


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