「筆頭!」
振り向きもせず、一歩一歩ここから離れて行く政宗殿を追いかけようと、伊達の兵達が走る。
「追うんじゃねえ!」
片倉殿の大きな声に伊達の兵達が立ち止まって振り向いた。
「政宗様の決められた事だ。織田は武士の戦とは程遠い。下衆な命の取り合いを仕掛けて来やがった…。武将達の誇りと尊厳を、ことごとく踏みにじりやがったあいつらを、織田信長とその手先共を、もはや一人の武将として許せねぇんだ」
「だからって一人で!」
「お前はどうなんだ、真田幸村。」
伊達の兵の言葉に返答せずに、片倉殿は某に問いを投げ掛けた。
「武田の姫をこのまま行かせていいのか?」
「っ…、姫様が決められた事ならば、某にはどうする事も…」
「武田の姫は、テメェや武田にとってその程度の存在だったんだな」
「そのような事はありませぬ!姫様は武田にとって大切なお方…、されど、お館様のおられぬ明日など、某にとっては無意味…!それは姫様にとっても同じ!もし今お側を離れ、その間に万一の事あらば…」
武田だけではない、姫様は某にとっても大切なお方。だがしかし、お館様にもしものことがあれば姫様も悲しまれる。それならば某は此処に留まった方が良いのではないのか?
「甲斐の虎を見くびるんじゃねえ」
低い声でそう申した片倉殿は踵を返し、お館様が眠る部屋へと歩いて行った。そして戸の前までくると勢いよく左右に戸を開いた。
開いた戸からお館様の姿が見え、片倉殿はさらに歩を進め、お館様の傍らにしゃがみ込んだ。
「ご無礼いたす」
辛うじてここから聞き取れる程度の声でお館様に対しそう呟いた片倉殿は、お館様に掛けられた着物を勢いよく剥ぎ取った。
晒されたのは、お館様の腕。下へと辿るとそこには、力強く握られた拳があった。その拳は、お館様が御無事である何よりの証拠。
「…!」
たまらず駆け寄り、もう一度強く握られた拳を見つめた。
「何年、甲斐の虎の側にいる。」
「…!」
「明智ごときの不意打ちでくたばるわけねぇことぐらい、お前が一番わかってるはずじゃねぇのか、真田。それに…」
片倉殿は身体ごと某の方を向きながら続けた。
「どんな思いで武田の姫が政宗様と行くなんて言ったと思ってんだ」
「え、」
「テメェに行ってほしかったからに決まってんだろ」
「…!」
まさか、姫様は、わざと…、
「わかってなかったみたいだね、旦那」
「さ、助……!」
ため息混じりに佐助は呟いた。
「十六夜ちゃんが本能寺に行くなんて言い出したら、真っ先に旦那が止めると思ったんだけどねぇ」
「姫様…、」
先程の姫様の顔を思い出す。今までに見たことのない、凛々しい顔つき、後ろ姿。それが、全部、某の為になされた事だとは…。
もう一度、お館様の方を見る。眠ってはいらっしゃるが、あの手の平が強く握られている、大丈夫だ。
そうだ、某がやるべき事は、ここでお館様が目を覚ますのを待つ事ではない!
「お館様ー!」
ぐっと、両の拳に力を入れ叫ぶ。部屋の隅に置いた二槍を持ち、身を翻し、政宗殿と姫様がくぐった門へと走った。
姫様、どうかお許しを。姫様の思いに気付けなかった愚かな某を。そう強く思いながら既に見えない二人の背を夢中で追いかけた。