ざあざあと、耳障りな音が響く。朝からずっと降る雨は止むどころか次第に強くなっていく。
雨が降っているせいで庭に出ることが出来ないから、部屋の中に居ることしか出来ない。雨は嫌いだわ、ただでさえあまり自由がないのに、雨のせいでもっと自由がない。
「…つまらないわ、」
いつもなら独眼竜がやって来る頃なのに、今日はどういうわけだかやって来ない。独眼竜は気まずくて屋敷のみんなと話が出来ない私の話し相手になってくれた。最初のうちは毎日のように私のところに来る独眼竜を鬱陶しく思っていたけど、段々独眼竜と話すのが楽しみになっていた。毎日来ていた人が急に来なくなるのは、なんだか寂しい。
(寂しい…)
そういえば、昔、同じように思ったことがある…幸村が私のところに来てくれなくなった時と同じ。
(同じじゃ、ない…かも…)
幸村の時は寂しかったじゃなくて、悲しかった。幸村は独眼竜が来るよりずっと前から、長い間側にいた。それが当たり前だと感じていたから、余計に悲しかった。
「ゆき、むら…」
もうどのくらい顔を見ていないのだろう。最近は屋敷を歩いていても幸村に会うことはなくなってしまった。まだ上田には帰っていないはずなのに。もしかしたら、幸村は私を避けているのかしら。私が幸村にしてきたように。
「…」
先にやったのは私のほう。だから幸村に同じことをされても仕方ない。そんなことわかっているはずなのに、どうしようもなく悲しくて寂しい。同じ屋敷の中にいるのに、会えないなんて。そう思うけれど、今会ってもどうすればいいのかわからない。独眼竜と話して、気が楽になったのは確かだけど、まだ謝る自信がない。自分がどれだけのことをしたのか、それは充分すぎるくらいわかってる。父上や幸村の事だから、きっと笑って私を許してくれる。だけど、怖い。
「…っ」
震える右手を左手で包む。どうしても勇気が出せない。怖くて仕方ない。なくしてしまった簪が今ここにあったとしても、きっと同じだったと思う。
私は震える手と心を落ち着かせようと目を閉じた。雨音はさっきよりも大きくなっていた。しばらくじっとして、雨音を聞いていた。
すると途中から、雨音と混ざって違う音が聞こえてきた。廊下を走る音。普段は廊下を走るのは禁止されているはず(雨の日は尚のこと)なのに、その音は確実にこの部屋へと近付いてくる。
「十六夜様っ!!」
乱暴に障子が開けられ、大きな音が雨音を消し去った。驚いてそちらを見れば肩で息をする椛の姿があった。
「椛…!」
「ご無礼をお許しくださいませ十六夜様!それよりもお館様が…!」
こういう作法に一番煩い椛がその全てを破っている。慌てている椛の口から出てきたのは父上を指す言葉。
「父う…お館様がどうし…」
「堤で織田の明智光秀に斬られました!」
「え…?」
斬られた…?誰が?…父上が?あの強い父上が…?まさか、そんな。
「今真田殿達に担がれて屋敷に…」
「…っ!」
「十六夜様!」
椛の言葉も碌に聞かず、私は椛の横を通り抜けて廊下を走り出した。
(父上…っ!)
嘘よ、きっと。だって父上は甲斐の虎。この国を治める武将で、誰より強いのよ?いずれは天下を取る人なの。そんな人が、簡単に倒れるわけないじゃない。椛の言葉が嘘である事を確かめる為に門まで急ぐ。
門に近付くにつれ、女中や兵士達の慌ただしい声が聞こえてくる。角を曲がったところで門の近くに群がる人達が見え立ち止まる。
私の両の目は、すぐにその中の父上をはっきりと捕らえた。
幸村達に担がれぐったりとする父上の姿を。
「父上っ!」
履物も履かず、私は廊下から降りて父上達のもとへ走った。雨で着物や髪が濡れても、ぬかるんだ地面で足袋や着物の裾が汚れようとも、女中や兵士達の私を止めようとする声も気にせずに。
父上の周りの兵士を押し退けて、父上の側に寄る。
「父上!父上っ…!どうして、どうしてっ…」
「姫様…!」
雨か涙で視界がぼやけて、父上の顔がよく見えなくなる。父上から私を引きはがそうとする兵士達の手を払う。
「父上、私まだ…!」
父上に謝っていません、ねぇ、父上まだ私許されてないわ、
「十六夜様っ!」
数人掛かりで父上から無理矢理引き剥がされる。足の力が抜けてその場にしゃがみこんだ。
「十六夜様…!」私が着ていた桃色の着物は、父上の血で前側だけ赤く染まっていた。
「椛、父上が、ちち、うえが…」
「十六夜様…っ」
側に駆け寄った椛が私を優しく抱きしめる。
「だって、わ、たし…っうああっ…!」
容赦なく降る雨の下で、堰を切ったように私の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。どうしようもなくて私は椛に縋り付き、叫ぶような声で泣きつづけた。
(ねぇ、お願い、誰か、嘘だと、)