幼い頃の幸村…弁丸兄様は、いつだって私の願いを叶えてくれた。
木登りを教えてだとか、野原に連れていってだとか。本当に小さなこと。兄様は必ず教える、連れていくと約束してくれた。互いの小指を絡めて約束を交わした。それから近いうちに兄様は木登りを教えてくれたし、野原にだって連れていってくれた。
約束すれば、必ず兄様は叶えてくれるんだ。私はそう信じていたの。
だから、私は兄様と約束したの。
ずっと側にいてって、私をひとりにしないでって。一緒に成長して同じものを同じ目線で見ていたかったから。兄様は「勿論だ!」って笑って約束してくれた。ゆびきりだってした。
だけど、私が攫われたあの日を境に兄様は遠くなってしまった。
遊びに来てくれなくなった。屋敷に来ることはあっても、私のところへは来てくれなかった。一度だけ、遠くから兄様を見た事があった。その時に見た兄様はあの日の兄様よりも背が高くて、少しだけ凛々しい顔をしていた。
悲しかった。守ってくれるって信じてたのに。
人が変わってゆくことが怖くなった。私は私のままなのに、周りの人は変わってしまう。
兄様が元服する日に見た兄様は、兄様じゃなくなっていた。
声が変わって、背がぐっと伸びて。顔は兄様のままなのに、兄様じゃないみたいで、怖くて悲しくて。
ゆびきりも、嫌いになって。私は兄様を遠ざけた。
本当は、わかってたの。ずっと側にいてなんて、一緒に成長してなんて、無理だって。無理だとわかっていても、守って欲しかったの。そんなの我が儘だってわかってたけれど。
「じゃじゃ馬、」
「っ!」
独眼竜に頭を小突かれ、現実に引き戻される。
「な、なに…」
「ちゃんと前向いてろ、切りにくいだろうが」
「ご、ごめんなさい」
考え事をするうちにだんだんと俯いていたみたいで、不機嫌そうな独眼竜に謝って顔を上げて庭を見つめる。独眼竜はため息を付いた後、再び鋏を動かし始めた。
「じゃじゃ馬、」
「なに?」
「アンタ結局、どうしたいんだ?」
独眼竜の問いに、言葉が見つからない。どうしたいかなんて、わからないもの。
「…よく、わからないの、自分の事も幸村の事も武田の事も」
今の幸村も昔の幸村も同じ、そんなことわかってる。だけど、どうしても兄様を想ってしまう自分がいる。武田の事だって、自分が姫でなかった事よりも他に、悲しい事がある。
「じゃじゃ馬、アンタ…、本当はわかってんじゃねぇのか?自分がなにがしたいのか。」
「え…?」
独眼竜の言葉に驚いて振り向こうとすると、独眼竜に頭を掴まれ元に戻された。
「もう少しだから動くな、じゃじゃ馬」
「…っ」
大人しく独眼竜に従うと、独眼竜は再び鋏を動かし始めた。そしてしばらくして口を開いた。
「…」
「…アンタが武田のprincessじゃねぇってわかった時、武田の奴らを恨んだわけじゃねぇだろ?」
言葉に黙って頷く。恨んでなんていない、悲しかっただけ。きっと、どんな事をされても恨むことなんて出来ない。
「だいたい、アンタが武田のオッサンの血を引いてるとか引いてねぇとか、そんなもんどうでもいいことだろ?武家には養子なんざたくさんいる。アンタは武田のprincessとして育てられた、それで充分じゃねぇか」
「…」「…princessならprincessらしく振る舞え。戻りたいんだろ?前のように」
「…でも、今更どうすれば…」
どうすればいいの。父上や佐助や椛や幸村やみんなに、どんな風に振る舞えばいいの。
「謝りゃいいんだよ、じゃじゃ馬。箱入りprincessはそんなeasyな事も習わねぇのか?」
「…ちゃんと、言えるかしら」
「No problem.アンタが本当に武田の事を想ってるならな。」
そう言った独眼竜の声は何処か優しげな声だった。はじめはこの人のこと嫌な人だと思っていたけれど、本当は優しい人なのかもしれない。私は静かに言葉に頷いた。
「真田の事も、アンタが認めたくねぇだけかもな」
「な…!」
独眼竜が急に呟いた言葉に驚いて恥ずかしくなって、顔が熱くなる。耳まで赤くなっていたみたいで、独眼竜が噴き出した。
「わ、笑わないで!」
「わりぃわりぃ…!ほら、終いだ」
笑いを堪えながら独眼竜が頭をぽん、と叩く。鋏を置いた音が聞こえて振り向く。
「ほら、見てみな」
手鏡を渡されそれを覗き込む。そこに写ったのは、短く髪が整えられた自分の顔。悔しいけれど、上手だわ。
「アンタじゃこんなに綺麗に出来ねぇだろ?」
意地悪くニヤリと笑う独眼竜を睨みつける。確かに私じゃ出来ないけれど。
「…ありがとう、独眼竜」
返事のかわりに独眼竜はぐしゃっと私の頭を撫でた。
「…撫でないでよ」
頭に乗る手を払うと独眼竜はまた笑った。そして「わりぃ」って、全然悪いなんて気持ちが篭ってない声で言って手を離した。
それに苛々したけれど、それ以上におかしくなって笑ってしまった。
(…アンタ、)
(え、)
(笑ってる顔はcuteだな)
(…きゅー…?)