部屋の縁側に座ると、後ろに立つ独眼竜の手が髪に触れた。独眼竜は慣れた手つきで私のがたがたになった髪の毛を切る。着物が汚れないように巻かれた白い布に、長さの違う髪がぱらぱらと落ちる。
「おい、じゃじゃ馬」
「だから、私は十六夜よ…、」
この人、名前を覚えようとしないのかしら。じゃじゃ馬呼びをやめさせる事を諦め、溜息交じりに尋ねる。
「もういいわ。それで、なぁに?」
「最近武田がぎすぎすしてるだろ、居心地悪くて仕方ねぇ」
鋏を持つ手を動かしながら独眼竜は答える。
「アンタが原因か?」
「…」
「さっき言ってた…アンタが武田のオッサンの娘じゃないって話」
「…だったら何。私を笑いに来たの?そりゃあ可笑しいわよね、武田の姫じゃないのにいまだにこんな生活してるなんて。」
自嘲気味に言うと独眼竜の手が止まった。
「確かに、言ってる事とやってる事があってねぇな」
「…」
独眼竜の言う通り。武田の姫でないのだからあの部屋を使う資格も、この着物を着る資格もないのに。
だけど私には、この屋敷しか帰る場所がない。屋敷の外のことなどほとんど知らない。屋敷を出ても、行くところなんてない。
「…ここ以外、行く場所がないもの」
「だったら、奥州に来るか?」
「えっ」
驚いて、振り向く。そこにはニヤリと笑う独眼竜がいた。
「奥州は甲斐よりもいい国だぜ?」
目をまあるくして独眼竜を見つめると、独眼竜は何故か吹き出した。
「な、なによ!」
「冗談に決まってんだろ?アンタみたいな餓鬼、俺のtypeじゃねぇよ」
「た、たいぷ…?」
「好みじゃねぇってことだ、じゃじゃ馬」
「ひ、人の事馬鹿にしないで!」
失礼な事ばかり言う独眼竜に苛立ち、立ち上がって叫ぶ。白い布に落ちていた髪が地面へと落ちる。独眼竜は相変わらず人を馬鹿にしたような顔で笑う。
「こっちだって貴方なんか好みじゃないわ!」
「わーってる。アンタ、真田幸村に惚れてんだろ?」
「…!」
独眼竜の言葉に、身体中の熱が顔に集まって来るのがはっきりとわかった。そんな私を見て独眼竜はニヤニヤしながらこちらを見つめている。
「図星か?」
「ち、違うわ!だって、私が好きなのは弁丸兄様だもの!」
「…弁丸?」
独眼竜はキョトンとして私を見た。私はなんだか恥ずかしくなって独眼竜の隣に俯いて座る。
「誰だそいつ」
「昔の…幸、村」
あってるじゃねぇか、独眼竜は半分呆れながら呟いた。違う、合ってない。
「幸村と弁丸兄様は…違うの」
「違う?」
「私が好きなのは…昔の幸村だもの」
今の幸村を嫌いなわけじゃない。ただ私にとって兄様の存在はとても大きいの。兄様が一番なの、そうでなきゃだめなの。
「…昔も今も、あいつはあいつだろ?」
「…そう、だけど、幸村は約束を守ってくれないもの」
私の言葉に独眼竜はため息をつき、再び私の後ろに回って髪を切りはじめた。