ギィ、ギィ、と何かが軋む音がした。耳障りなその音が耳に届いて目をゆっくりと開ける。
「…ん、」
目に飛び込んできたのは、全く知らない場所。少なくとも躑躅ヶ崎の屋敷ではない。古びた蔵のよう。壁に備えられた棚はとれかかっている。
とりあえず起き上がろう、そう思い体を動かそうとした時、私はあることに気付く。
「…!なに、これ…」
手を後ろで縛られていた。肩にかかる髪はばらばらの長さに切られている。誰がこんなこと…。そういえば私屋敷の廊下で、何処かの忍に…。
「おや、お目覚めかな?」
「!」
聞き覚えのない男の方の声がして、そちらを振り向く。こちらへ歩いて来たのは、やはり私の知らない人。男が歩く度に先程のようにギィ、と床が軋む音が響く。
「そんなに怯えなくとも、私は卿をどうにかしようとは思わんよ。」
「貴方は…?」
見知らぬ男に警戒しながら名を尋ねると、男は私の前に屈んだ。
「私は松永久秀。ただの骨董品愛好家だ」
ただの骨董品愛好家、そんな風には見えない。どう説明すればいいのかわからないけれど明らかに怪しげな雰囲気を纏っている。
「そのようには見えない、と言いたそうな顔だね」
「!」
私の考えを見透かし、不適に笑う男に背筋が凍る。
「…私は卿の父と同じような存在だ、甲斐武田の十六夜姫」
怯えては駄目、本能がそう告げる。武田の姫として振る舞わねば、亡くなられた母上がよくおっしゃっていたように。そう、私は誇り高き武田の姫。そう思い目の前の男、松永久秀を睨みつける。
「貴方、私が甲斐武田の者と知りながらかような真似を…!」
「やれやれ、威勢だけはいいようだ。」
ふっ、と笑った松永は私の頬に手を伸ばした。手が触れる直前に私は身体を引いた。
「っ、触らないで!」
再び松永を睨みつけると、松永はやれやれと肩を竦めて立ち上がった。
「まぁいい、私は別に卿には興味はないのだよ。」
「だったら何故、私を…!」
「私は武田の家宝を欲している。それを確実に手に入れるには、卿が必要なのだよ」
武田の家宝。楯無鎧を欲している…?そのために私が…?「…私を人質に取れば、父上が楯無鎧を差し出すとでも?」
「その通りだ、十六夜姫」
「私のような娘一人に大事な家宝を差し出すと思って?武田はそんなに愚かではないわ」
震えているのを隠すように大きな声で言えば、松永は先程のように笑った。
「それはどうかな?甲斐の虎は娘の卿をとても愛でていると聞くが?…私には卿を愛でることを理解出来ぬがね」
「たとえそうでも、貴方の手に楯無鎧がおさまる前に自害するわ。」
「それは困る」
そう言うと松永はパチン、と指を鳴らした。途端壁から毒々しい色をした煙が吹き出した。
「な、なにを…?」
「卿を死なすわけにはいかないのだよ、楯無鎧を手に入れる為には、ね」
「…っ…あ…」
突然強い眠気に襲われて、その場に倒れこんだ。松永が楽しそうに微笑みながら私を見下ろした。
「ま…つなが…」
「安心したまえ、卿にはもう一度眠ってもらうだけだ。なぁに、全て終われば助けが来るだろう」
意識がだんだん遠のいていく。(誰か、助けて…、父上、椛、佐助…)
(幸村…にいさま…)
「そうだ、卿にひとつ教えてあげよう」
松永が再び私の側に屈んだ。
「―――――――」
「……な…」
「じゃあ、私は行くよ」
ふっ、と笑って松永は立ち上がった。
「ま、ちな…さ…」
途切れ途切れの私の声は松永に届かず、松永は歩き出した。
「…っ」
去って行く松永の後ろ姿を見ながら私は意識を手放した。