月明かりにうっすらと照らされた廊下を行く。向かう場所は独眼竜が眠る部屋。
部屋に近づくにつれ、声が聞こえてくる、庭で誰かが話しているよう。角を曲がり近づくと真田殿と小十郎が話をしていた。
こちらに気付いた小十郎が頭を下げる。その動作で私に気付いた真田殿が振り向いて会釈をした。合わせて私も頭を下げ、部屋に入った。
そばに座り独眼竜の様子をみる。相変わらず独眼は眠りつづけている。時々痛みに耐えるようにうめき声をあげている。
そっと、髪を撫でる。
「…梵」
幼い頃に呼んでいた名を呟く。それと同時に胸の奥から懐かしさと悲しみが沸き上がる。
それをぐっと堪えて、独眼竜の顔をつたう汗を拭こうと枕元に置かれた桶に掛かった手ぬぐいに手を伸ばした。
「真田の旦那!」
外で、猿飛殿の焦るような声がした。そういえば先程、西の国境の辺りで妙な音がした。きっとその報告に現れたのだろう、私はそう冷静に考え、再び手ぬぐいに手を伸ばした。猿飛殿が焦っているのが少し気になるけれど。
起こさぬようそっと、独眼竜の顔を手ぬぐいで拭く。
「…随分と成長したのね…梵」
最後に姿を見たのは、まだ幼い梵天丸だった頃。あれから数年がたった今、腹違いの弟である梵天丸は元服し、伊達政宗という奥州の覇者と呼ばれるようになった。
そんな弟を複雑な感情を持ちながら見つめる。
耳を欹て外の様子を聞いてみる。
伊達の兵が松永久秀という者にさらわれ、返して欲しくば武田の楯無鎧、伊達の六の刀を揃えて差し出せということらしい。
「…楯無鎧とは何だ?」
小十郎の声がして真田殿が説明を始めた。
武田の家宝、楯無鎧。独眼竜の眠るこの部屋に飾られている鎧のことだ。如何なる武具を持ってしても貫くことができぬ鎧とされている。
「…っ」
「!…梵…?」
痛みに耐えるような声が耳に届く。独眼竜に意識を向けると、今まで閉じていた独眼竜の瞼がぱっと持ち上がる。
「ここは…何処だ…?」
「…武田の屋敷ございます、伊達殿」
私の声にきょろきょろとまわりを見回していた独眼竜の目が私に向く。
「…アンタ、誰だ」
「…武田に仕える女中にございまする」
「…」独眼竜は私を不審そうな目で見た後、ゆっくりと上半身を起こした。
「…ところで、さっきから外で何騒いでやがるんだ」
障子の方を見遣りながら独眼竜は私に尋ねる。
「…西の国境で、貴方様の部下数名が松永久秀という者に連れ去られたそうです。…返して欲しくば武田の楯無鎧と伊達の六の刀を差し出せ…と」
「なんだと…?」
独眼竜の左目が大きく見開かれる。そして独眼竜は舌打ちをしたあと立ち上がった。
「…何を、」
「Ha!見りゃわかんだろ?助けに行くんだよ」
「いけません、傷口が開きまする!」
戦装束に着替え始める独眼竜を止めようとする。
「開かねぇよ、いいから黙ってな」
「なりませぬ、…梵!」
しまった、慌てて口をおさえる。独眼竜は驚いたように手をとめこちらを見た。私は目をそらす。
「おい、アンタ今、」
「はっ、早くお召し物を…!」
目をそらした理由を違うことにしてなんとか切り抜けようとする。独眼竜は再び不審そうな目を向けたが着替えを再開した。
兜以外を着替え終わると、独眼竜はふらつきながら廊下側の障子に手をかけた。
「…っ伊達殿!やはりいけません、お体に障りまする…!」
「…うるせぇ、口出しすんな」
肩を掴んで、再び独眼竜を止めようとするが、簡単に振り払われてしまった。
ゆっくりと障子が開かれる。
「…政宗様の耳にも入れるんじゃねぇ。あいつらは…長篠で討ち死にした。そう思うんだ、いいな」
小十郎の後ろ姿が見えた。
独眼竜はそれを見て、障子に寄り掛かりながら口を開いた。
「…ナメた真似してthroughしようってのか小十郎」
独眼竜の言葉に小十郎達が一斉に振り向く。
「筆頭!」
にやりと笑う独眼竜に驚く伊達の兵の声が耳に届いた。