武田と上杉が長篠で戦っていた時、設楽原では伊達軍が浅井と明智と戦っていた。
そこで奥州の覇者、伊達政宗は明智が放った種子島に倒れた。
その伊達政宗が今、武田の屋敷にいる。
お匙の言葉では、血をかなり流したけれど命は取留めたようで今は武田が家宝、楯無鎧が飾ってある部屋で眠っている。
私は十六夜様の命により、伊達の世話をすることになった。あまり気分は乗らない。しかし、十六夜様が私の為にと御思いになられて命をくださった。その気持ちを無駄にするわけにはいかないため、私はお匙が用意した薬を独眼竜が眠る部屋へと運んでいた。
部屋の近くまで来ると、お館様の声が聞こえた。誰かと話をしているよう。…耳をすまして声を聞くと、よく知っている懐かしい声だった。
部屋の前には、真田殿が座っていた。
「真田殿」
「!…椛殿。」
真田殿に声を掛けると、同時に部屋の中の声も聞こえなくなった。
私は真田殿の隣りに座り、頭を下げた。
「お館様、伊達殿の薬をお持ち致しました。」
「うむ、入るがよい」「失礼致します」
薬の乗った盆を持ち上げ立ち上がる。真田殿に軽く頭を下げて私は部屋の中に入った。
部屋の中心に独眼竜は眠っていた。傍らに、竜の右目と呼ばれる片倉小十郎がいた。ふと、片倉殿と目が合った。片倉殿の目が大きく見開かれた。
「椛様…?」
「…」
「椛、知り合いか?」
お館様の言葉に私は静かに頷いた。
「やはり、椛様なのですね…?」
「貴方がこちらにいるということはやはり独眼竜は…梵なのですか?」
小十郎は静かに頷いた。
「どういうことでごさるか、椛殿?」
真田殿が不思議そうに聞いた。私は盆を独眼竜の枕元に置いてお館様を向いて座った。
そしてゆっくりと頭を下げた。
「お館様。今まで黙っていて申し訳ありません。私は…ここにいる伊達政宗殿の姉にございます。」
「椛殿が、伊達殿の姉上…?」
真田殿の困惑する声が耳に届いた。しかし次に聞こえて来たのは驚くほど冷静なお館様の声。
「やはりお主は伊達の姫であったか」
「知っていたのですね、やはり」私はゆっくりと頭を上げた。
「お主がここへ来た時に…忍に調べさせたのでな」
お館様は全てを知っていて、私を姫付きにした。はじめのうちは私にすんなりと大切な姫の付き女中を任せたお館様に戸惑ったけれど、年月を重ねる度になんとなく知られているのではないかと思っていた。そのなんとなくは当たっていたらしい。
「伊達の世話はお主に任せる。しばらくは十六夜の世話は他の者に任せるがよい」
お館様はそう言うと踵を返し、廊下へと歩き出した。
真田殿の前辺りで一度止まり、お館様は再び口を開いた。
「椛。」
「はっ」
「…間違っても、武田を去ろうと考えるのだけはしてはならぬ。…お主がいなくなったら誰があ奴の世話をする」
「お館様…」
「お主が伊達に帰りたいのならば話は別じゃが…」
言い終わると、私が返事をする前にお館様は部屋を出て行かれてしまった。
誰が姫の世話をする、その言葉に先程の十六夜様の不安げな顔を思い出した。
完全にお館様が出て行ってしまった後、真田殿がこちらに向かって礼をして立ち上がった。そしてこちら…眠る独眼竜の顔を見て何か考えているようだった。
「真田殿。」
「、なんでござろう椛殿。」
立ち上がって真田殿を呼ぶと、余程何かに集中していたのか驚いて真田殿の肩が少し跳ねた。
「今からでも明日でもよろしいのですが、十六夜様に会いに行ってはくださいませんか?」
「姫様に、でごさるか?」
「ええ、十六夜様…元気がないようなので…」
元気がない、その言葉に真田殿は心配そうに眉を下げた。
「姫様…。椛殿、わかり申した!某、今すぐ姫様のところに!」
「あっ、真田殿…!」
返事だけすると真田殿は急いで十六夜様の部屋へ向かってしまった。
(姫がお休みになっていたら…どうするつもりなのでしょう…)
真田殿の後ろ姿が見えなくなると私はため息をついて、部屋の中へと戻った。
布団を挟んで片倉殿…小十郎と向かい合わせに座る。私が座ったのを確認すると、小十郎が口を開いた。
「…ご無事でなによりです。姫様。」
「私はもう姫ではありません。どうか名前で…片倉殿」
「せめて…ここだけでは呼ばせてくださいませんか?」
「…小十郎、」
強い瞳に見つめられて、次の言葉が出て来ない。
「…では、椛様とだけでも。」
目線を、小十郎から独眼竜…梵へと移した。梵は相変わらず眠ったまま。
「政宗様は…貴女様のことをずっと探しておいででした。どうか…奥州へお戻りください」
「…私は夭折したことになっています。そのようなものが易々と帰れませんわ。…それにね、小十郎」
今度はしっかり小十郎の目を見て微笑んだ。
「奥州を出て、行く宛のなかった私を拾ってお側に置いてくださった姫やお館様を…私は守ると誓ったのです。だから私はここにいます。なにがあっても私は帰りませんわ。」
小十郎はふぅと、息をついた。
「その頑固さは政宗様と似ていらっしゃる…。椛様…もう小十郎は何も言いませぬ。ですが、どうかご無理はなさらず…」
心の底から心配している小十郎の言葉と声色と表情に、私は頷いた。
「小十郎、梵をよろしくね」
もう一度微笑むと小十郎も同じように微笑んでくれた。まだ私が小さい時、小十郎が私に微笑んでくれたのと同じようにあたたかく。懐かしくて、嬉しいような気がして、泣きそうになった。
(あなたが生きていてくださってよかった)
(ごめんなさい、かえれなくて)