「実を申せば儂とて、色良い返事が一つもなく、半ばあきらめておった。」
始めは父上の背中をぼんやりと眺めて話を聞いていたけれど、段々と変わる父上の声色に、如何に重大なことであることを感じ取る。
「じゃがある日、ある男から書状が届いてのぅ」
「書状、ある男とは…?」
幸村が父上に尋ねると、父上は息を吸う。
「前田の風来坊じゃ」
前田の風来坊という言葉に幸村と私の隣りの女の方が反応する。
「…家に縛られぬ身の利を生かして、諸国の武将を訪ね行脚しておるという」
その男、前田慶次の見立てた同盟軍の構想は、父上がお考えになられていたそれと違わぬものであったらしい。
「与太者の酔興でないことを確かめた上で、今一度各地の武将の元へ、佐助を奔走させたのじゃ」
佐助の仕事って、そういうことだったのね。事情を知らなかった私は、またいつもの幸村のお使いだと思い込んでいた。
そんなことを考えていると、父上は女の方の方に振り返った。
「…かすがとやら。」
「はい?」
かすが、と呼ばれたその方は父上の方を向いた。
「武田信玄は快諾したと、謙信殿に伝えてくれ。」
「はっ」
父上の言葉にかすがさんはゆっくりと頭を下げた。
(軍神様の名が出たから、どうやらかすがさんは上杉の方みたい。)
かすがさんが頭を下げた事を確認すると、父上は再び外の幸村の方を向いてゆっくり話し始めた。
「前田慶次にけしかけられた独眼竜は、恐らく自軍のみで斬り込まんと致すはず。」
それを先鋒として生かし、一気呵成に進軍する。
それを成功させるためには、徳川を味方に付けて、浅井に織田の背後を押さえてもらう必要がある。
「…浅井長政には、断腸の思いを強いることとなるが…」
父上は、話ながら幸村へと視線を落とした。外の幸村は先程からずっとうつむいて黙っていた。
「…どうした、幸村」「お館様…!」
父上の声を聞いた幸村の手に力が入る。
「この幸村、お館様のお心の深さに改めて感じ入っておりまする!」
膝に拳を置いた幸村は、尚もうつむいたままで続ける。
「甲斐一国、武田一軍の利ではなく、先ずは第六天魔王の脅威から日の本そのものを守らんとするお姿…!」
幸村はグッと拳を握り直し、心なし嬉しそうな顔をした。
「そしてかような大事に…某のような者を呼び置いてくださったことを…」
「よいか、幸村」
父上の諭すような声を聞き、幸村が顔をあげた。
「今そこにおのがあることを疑うでない。常に信じ、より高みを目指して突き進む男となれ」
父上の背中がいつも以上に大きく見え、幸村の目が輝く。
「お館様!お言葉、肝に命じまする!!」
ガバッと頭が地面に付くのではないかというくらい、幸村は頭を下げた。
その光景を見ていると、急にかすがさんが襖から離れた。
「では、私はこれにて」
「…!」
一瞬のうちにかすがさんは佐助と同じようなことをして消えてしまった。
私はびっくりして立ち上がる。
「かすがさん、忍だったのね…」
「猿飛佐助、戻りました」
彼女がいた方を見ていると、外から聞き慣れた佐助の声が聞こえた。
どうやら任務から帰って来たらしく、私は姿を確認する為に廊下に出た。
「佐助、お帰りなさい」
「ただいま、十六夜ちゃん、って…まだ寝てなかったの?」
「うん、ちょっとね」
私がそう言って笑うと、佐助はそっかそっかと苦笑いした。
「…お館様、面目ない!全然駄目っす、浅井も徳川も全く取り合っちゃくれません」
佐助の報告を聞いた父上の顔が曇る。
「織田を包囲する事叶わぬか…」
「どうします?」
佐助が聞くと、父上は少し考えてから口を開いた。
「書状を送り続けて、折れさすしかなさそうじゃの、もしくは力ずく…。直に出発せねばならぬじゃろう、魔王討伐は一筋縄では行かぬ。全て全力で参らねば。」
父上が私の方を向いた。
「十六夜、お主にはまた寂しい思いをさせてしまうが…今回ばかりは椛にも出陣してもらわねばならん」
父上がこんな風に言うし、椛まで戦に駆り出されるなんて、私が思う以上に魔王討伐は難しいものみたいだった。
頭ではわかってるんだけれど、
『わかっています。これも、武田が為』
いつもなら、ちゃんと言えるのに。今日は何故だか言葉が喉の奥に引っ掛かって出て来ない。
「姫様…?」
父上を見上げて、黙ったままの私を心配そうに見る幸村が声をかけてきた。
「十六夜…どうしたのじゃ」
「父上…、十六夜めも魔王討伐へ連れて行ってくださいませ」
「な…!」
自分が口にしたことに自分でも驚いた。
幸村も佐助も父上も、驚いて言葉を失ってしまい、こちらを見ている。
長い沈黙の間に、私は驚く程冷静になれた。
きっと、私の中にいる誰かが、本当の気持ちを吐き出したんだと思った。
(武田が為とか、そんなことどうでもよくて、
ただまた私を置いて何処かへ行ってしまうみんなを繋ぎとめたかったの)