なるようにしかならないと。
そうやって生きてきたんだ。
いつもいつもいつも。
大切なものが、こぼれ落ちていっても気付かないふりをするのは慣れている。
なのに。
…それなのに。
episode 〜kakashi ver.〜
act.7その後
手を伸ばせば、ふわり。
彼女の柔らかい髪に触れて。
満たされる想いは欲張りになって、もっと、もっとと押し寄せる。
そんなときにふと感じた、鋭い視線。
(あいつ………)
思ったときにぱっと離れていくそのぬくもりに寂しさを感じた。
教室に戻りなさいと言う俺に素直にはい、と返事をして俯いた。
俯いたままの彼女は、やっぱり頬をほんのり染めて。
そのまま教室へと戻っていく姿に危うくもう一度手を伸ばしそうになった。
離れるのが名残惜しい。
その表現が一番合っている今の心境は滑稽にさえ思うほど。
気付かされた気持ちにさてどうしようかと途方に暮れる。
気付いたんなら即動いて…なんて。そんな積極的になれるほどの若さはもうなくて。
(…名簿、名簿)
ま、なるようになるでしょうよ。
いつものごとくそう思うようにして日常に戻る。
教室に戻れば生徒たちから遅い!だの遅刻!だのという声が飛び交ったけどいつもようにそれを聞き流して。
ふと、窓の外を見れば別のクラスの教室が見える。それほど近くないから人物まで見えないというのに、視線はあの子を探していて。
(探して何になるのよ…)
そう思いながらも、きっとあの子の姿を見つければ自然と頬が緩んでしまうんだろう。
まったく三十過ぎの男が何してんのよ、あれから自分に呆れてばかりだ。
そんなことを悶々と考えつつ、やっぱりいつも通り仕事をこなす。別に何かあったからといって、顔に出るようなタイプじゃないと自分では思っているし、自分から自分のことを話すことなんて苦手だったし…まぁ、考えてみればこんなこと誰かに話すまでもないし。特に苦痛に思わずに1日が過ぎる。
それでも、1日の担当の授業を終えると、「やっと終わった」とため息が出るあたり胸の奥のモヤモヤが気になっていると確信する。廊下を歩くたび、やっぱりあの子を探してしまうのだ。
ガヤガヤと騒がしい業間。本日の担当授業も終え、他の仕事も残っていたけれどやろうと思えず、あとは司書室で読書でもするかと決め込んだ頃。
あの子の教室が近付いてくる。妙にうまく歩けなくて自分に嫌気がさしたとき、ふとその教室の隣りのクラスの中から視線に入ったあの子の後ろ姿。窓辺から入る風に後ろ髪がふわりと流れている。
少なからず、彼女を見つけてなんだか満たされた気持ちになったけれど、すぐにそんな気持ちは急激に冷めていくのを感じた。
彼女の隣りにはさっき彼女の腕をギリギリと握りまくし立てていた男子生徒。確か犬塚キバっていったっけ。嬉しそうに彼女を見詰めている。
彼女はといえば、頬を染めているようで。
(なんだ、そういうこと)
さっきのあの睨むような鋭い視線を思い出した。どうして彼女をまくし立てていたのかは知らないが要するに、犬塚キバはきっと彼女が好きで。
二人で話をしているのに俺が邪魔したもんだからあんなに睨み付けられたらしい。
だけどそんなのはどうでもよくて、そういう感情を持った奴にあんな表情をしていた彼女がなんとなく気に食わない。
(俺に…してた顔でしょ)
なんて。まるでガキのような感情。
彼女から視線を外す。
かっこ悪…。
思いながら前を見据える。
冷えていく脳内。今になって浮かれていたんだと思い知らされる。
なにが気に食わないだ。
彼女を見つけて満たされて、そして…どうなるって言うんだ。
勘違いしていたのかもしれない。
俺は教師で、あの子は生徒。
あの子の気持ちに応えたからと言ってあの子を幸せにしてあげられるのは、どう考えたって俺じゃない。
「………」
なんだか正直、スッキリとした。胸の仕えがおりたみたいに。
それからあまり考えもせず、ひたすら他の授業が終わるまで愛読書を読みふけり時間が過ぎた。
もう何も考えることはないな…
そう思う時に限って、
(…あ)
会ってしまうのはどうしてだろう。
どん、とぶつかってくるのも恒例で。
だけどぶつかった瞬間にドキリと波立つ鼓動。何も考えないと決めたはずなのにそんなのは脳内でだけで、体は本当に正直だ。
「またお前?」
「すみませ…」
「よくぶつかるな」
言いながら、わざわざ目線を彼女に合わせて。弛む頬もそのまま。
そんな自分はおかしいと思いつつ彼女本人の前ではどうにも普通じゃいられない。…いや、隠せないという表現の方が正しいのかもしれないけれど。
でもそんなことよりも、目線を合わせた彼女の様子がおかしかった。今にも泣き出しそうな、そんな顔をしていたから。
何かあったのかと聞いても俯くばかりで。
心配で、触れたくなるなんて言い訳にしかならないけれど。
だけど放っておけないんだよ。
言葉に出して言えたらどんなに楽だろう。
思いながらやるせない思いでぽんと彼女の頭を撫でた。
少しでも彼女を渦巻くなにかを取り去ってあげたかった。
だけど、どうだろう。
彼女の口からは発せられた言葉。
"どうしてそんなに、優しくするの"
聴こえた瞬間に、彼女に触れていた手が止まる。
はっとさせられたのは言うまでもなく。
彼女自身が分かるくらい俺は態度に表れていた。あれほど隠しているだの何も考えないだの言いながら、本当は気持ちを隠す通すことも出来ずに。
ハの字に曲がった眉をしながら見つめてくる瞳は不安げで。
―――そうさせているのは、俺で。
走り去っていく彼女をただ眺めることしか出来なかった。
前に出ない足、ただ彼女の背中を見つめて。
(…………)
静かに握り締めた手だけが、そんな俺に反抗しているかのようだった。
end.
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