黒い隊服がとても似合うと思った。初めて見たのは一ヶ月前。書道家の私の父の展覧会の護衛を真選組に頼んだら、副長と名乗る彼が挨拶をしにここへ訪れた。私の家から真選組屯所はとても遠いこともあって、展覧会の間の一ヶ月間ここに泊まり込むことになった。

隊員には厳しく、無口な彼はとても近寄り難かった。


「土方さん、これ」
「おー悪ィな」


今は普通に話せるくらいまでになった。ご飯の時のお馴染みのマヨネーズを渡せば、彼は嬉しそうにたっぷりとかける。

「…うめェ」

口角を少しだけ上げてニヒルに笑う。日が経つごとに無表情で無口な彼から色々な表情を見つけるたびに私の鼓動はうるさく鳴り響く。そのうち、もっと色んな彼が見たくなった。もっと話たくなった。…少しだけ触れてみたくなった。

「あ、」
「よォ。また今日も一人で晩酌か?」
「はい…月がとても綺麗だから」


時々眠れない夜、私はいつも一人酒を飲む。夜の空を見ながら酒を飲めば、何故だか心が落ち着いた。でも、ここ一ヶ月はなかなか落ち着けなかった。偶然彼もここに来て、私の隣で月を眺めるから。

「俺にも一杯くれねぇか…って図々しいが」
「いいですよ。一人で飲むのは寂しいですし」

冷静を装いながら、本当はドキドキする。隊服が似合う彼だけど、夜にしか見ない着流しもとても似合って見えた。
煙草を手にして吸い込めば胸のあたりがゆっくりと膨らむ。煙草をくわえる唇はとても薄くて、酒を飲むたびに喉仏が動く。

…やばい、彼の全ての動作にドキドキする。

あまりじっくり見ないように私は一生懸命月を眺めた。妖艶に輝く白い月は黒いものを纏う彼とは正反対なのにどこか似ているような気がした。

「ここの月を眺めるのも今日で最後だなァ」

突然放った彼の言葉に、ああそういえば護衛の期間が明日1日で終わることを思い出した。

「…寂しく、なりますね」

自然と出た言葉にハッとして慌てて少し付け加えた。


「一人で飲むのは寂しいですからね!」

あはは、なんて笑いながら言えば、フーと紫煙を吐き出した彼がふいに微笑んだ。

「ここの月見酒ァ格別だった。もっと楽しみてェが、待ってる奴らがいるからな」

月の更に向こうを見据えるように目を細める彼の瞳に映るのは、きっと彼の帰りを待つ人々。私はふいに思った。
その中に、女の人はいるの…?

たかが一ヶ月。彼のことを全て知ったわけじゃないと、こういう時強く思う。彼には帰る場所があって、彼の帰りを待つ女性もいるのかもしれない。そう思ったら酷く酒が苦く感じた。喉が焼けるように熱くなる。自然と涙目になったけど、それが感情的なものだと気付かなかった。…そう思いたくなかっただけなのかもしれない。


「どうした?」

辺りは暗いというのにどうしてこの少しの涙を見極めることが出来たんだろう。漆黒な瞳が私を真っ直ぐ見つめるから、いつもは開かない口が素直に開いていく。

「今日だけ、借りてもいいですか?」

何を、と言われる前に私は目当てのものを借りた。初めて触れる彼の温度。ほんのりと漂う煙草の香りをどうにか自分に染み込ませたくて、ピタリと近付いた。

額いっぱい広がる彼の肩は、思っていた以上に男らしくて、胸が締め付けられるのに好きという気持ちが止まらない。


「…あったかい」


一目見た時から、きっとあなたに惹かれてた。理由なんてすぐには言えない、気付かないうちにいつの間にか目で追って。
ここでほんの数時間、月を一緒に見るのが私の楽しみになっていた。



「忘れないで下さいね、ここの月」


あと…私を。

言いたくて、言えなくて。そのかわりに瞼を伏せた。どうか伝わって欲しいと、最後の悪あがき。

「すぐ…忘れちまうだろ、」

ぼそり。聞こえた声と吐き出された紫煙と。伏せた瞼の中はすぐに熱くなり、じわりと潤んでしまった。
嘘でも、忘れないと言って欲しかった。
だけどそんな期待をさせるようなことを言わない人だと、なんとなく分かっていた。分かっていたのに好きになった。
きっとこういうところを好きになってしまったんだろう。

頬を伝う涙は一筋だけ。
あとは気付かれないように拭って。
私は借りていた肩から静かに離れようとした。

それなのに目の前の漆黒の瞳が私を彼から離さなかった。

「忘れちまう、この月の景色は」
「…………」
「だから連れてく」
「…え?」

ーーお前だけは忘れねえようにな。

耳のすぐそばで、低い声が私の鼓膜を震わせた。目を見開いたまま、次に聞こえたのはゴクリと酒を流し込む喉の音。


「あ…でも…待ってる人達がいるって…」
「いるな、大勢」
「女の人、は…?」
「女?いねえな、野郎ばっかだ」
「そうなんですか…」
「んなこと心配してたのか」
「そういうわけじゃ…」
「へえ、じゃあどういうわけだ?」
「あの、だから…その」
「はっきりしねえな、行くのか?行かねえのか?」

追い詰めるように言われながらも、頭の中ではちっとも話について行けず。ただただ私は、彼の着物の裾を掴む。

離れたくない。

それだけが伝わればいい。

伝わったのかどうか、私には分からない。だけどすぐあとには私は彼の腕の中に収まっていて。

「無理にでも、連れてく」

ぼそり、頭上からそう聞こえて瞬間さらに強く抱き締められた。
途中から夢を見ているようだった。白いモヤがかかっているように見えたのは彼が吸う煙草の煙。だけど匂いも感覚も、今まさにここにあるから。

「土方さん」

名を呼べば、いつもの鋭い瞳は、優しさに満ちた視線を送られて。
見詰めたお互いの瞳が閉じられるのもあと僅か。

当たり前のように二人は

それは引き寄せ合うかのように。

end.



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -