「 ‥‥‥やめて‥!!! 」
たまらず頭を抱え込んだ。
頭の中に鋭く響く、不快な喚び声。
まるで 決して開かれない鋼鉄の扉を、爪が剥げ落ちるまで死に物狂いで掻きむしるような−‥
そんな、それほどに凄絶な喚びだった。
「触らないで!!」
取り乱した様子に驚いたのだろう。
慌てたように差し伸べられた、ゴーシュさんの手。
その手を痛烈に拒否した。
頭には未だキーンと響く余韻が残り、前頭から眼窩にかけてキリキリと締め付けるような痛みをもたらす。
私はよたつく足で 二歩三歩とゴーシュさんから離れた。
‥‥この男‥
慇懃無礼な‥!
憤慨したような「音」とともに、身体の奥底から力が湧き上がる。
荒々しく逆巻く、真珠色の力。
‥真珠琥珀の放つ、瞋恚の炎(しんいのほむら)だった。
「−‥やめて フィーリア。
‥‥‥私なら、大丈夫だから」
此方を伺っている 銀(しろがね) に気付かれないよう、顰(ひそ)めた声で呟く。
「‥‥大丈夫。平気だから」
平気なわけ ないでしょう!?!
どこまで意地 張るのよ!?
ドミヌスごときがこんな こんな‥っ‥!!
ゴーシュ・スエード!!
赦さないんだから!!
「いいの、フィー。‥聞いて。
今夜は、天満の日よ。力ある精霊は人間界に介入できる。
判るでしょ? 彼の精霊琥珀もここにいるのよ。
ゴーシュさんに何かあったら、彼の精霊琥珀が黙っちゃいないわ」
それでも尚、そんなことは関係ない など聞き入れぬ音を響かせる。
「−‥いいから、黙って。お願い。
一本気でしつこいの、あの人。
今あなたが出てきたら、否応なしにノクサーヌのことも彼に曝すことになる。
そんなことになったら それこそ言い逃れもできなくなるわ。
これは、私たちの−‥‥人間同士の問題よ」
そこまで言うと、身体の芯に滾(たぎ)る精霊力が僅かな落ち着きをみせた。
‥‥‥ふん
これ以上の無礼戯(なめざれ)あろうものなら 容赦しないから
‥いいわね
胸元のペンダントがうっすらと淡く、他者が気づくほどには主張せぬ仄かな光を宿し始める。
事有らばいつでも仕掛けられる臨戦態勢−‥というところなのだろう。
「‥‥ありがとう」
胸に両手を当てて真珠琥珀を優しく包む。
彼女の怒り故か、微かに光り続ける真珠琥珀は その微光にそぐわない熱さをはらんでいた。
‥‥本気、なのだ。
この 共にいる男へ下さんとする制裁の意は。
‥‥‥ふ‥
解って いるようだな
不意に響く、黒き音。
「‥‥‥。
勝手に話に入ってこないでちょうだい」
精霊琥珀は自分と波長の合う者を自らの所有者として選ぶ。
揃いも揃って、この精霊琥珀にしてこの主(あるじ)有り といったところのようだ。
「リリィ‥? 大丈夫、ですか?
その、どこか具合でも−‥」
訝しむ銀(しろがね)の声。
思考回路が 物理世界 へと引き戻された。
「‥‥。
何でもないわ。気にしないでください」
遮るように言葉を連ねた。
「当時は−‥あの時は、確かにあなたを詰責(きっせき)するような態度だったと思います。
それに関しては何も弁明するつもりはないわ。
説明して解ってもらえるような話じゃありませんし」
頭(かぶり)を振りながら居直り、向かい合う。
「−‥でも。
あなたは‥‥ゴーシュさんは、それだけのことをしている。
例えそれが知らずにそうしているのであっても、意識的にしていることでも 無意識にしていることだったとしても。
‥‥‥あなたは、精霊を−‥鎧虫を、消滅させた。
この世界から、存在の欠片の一つも残さずに」
‥何か、物言いたげな顔が見える。
「‥‥ゴーシュさんだけじゃ、ないんです。
他のBEEも、みんな同じことをしてる。
リーシャも、ジギーも、みんな。
現役だった頃の館長や博士だって、同じことをしてる。
ただ‥‥
ただ、あの日あの時、あの村に‥‥私の家に、手紙の配達に来たのがあなただった というだけで。
貧乏くじ みたいなものよ。
村に来たのが誰か他のBEEだったとしても、あの状況−‥あんな戦闘になっていたら、相手が誰であれ あの時と同じ態度を取っていたと思うわ。だから−‥」
再び、きっ‥と睨みつけて言い切った。
「 −‥それに関してのこと‥
謝るつもりは、ありませんから 」
そして 目を伏せる。
もうこれ以上 何も語る気は、無い。
「それより−‥
どうして、今更そんな昔話を?
私が鎧虫退治を嫌っていることは館内でも有名な話ですし、御偉方(おえらがた)から問題視されて危険因子とまで言われてる。今に始まったことじゃないわ。
鎧虫との戦闘に関してなんて、そんなのイマサラじゃないですか」
努めて明るく振る舞いながら話題を徐々に脱線させていく。
過去を語り種にする昔話には、もう戻せないように。
「‥‥‥。
そうですね。リリィの言うとおり、今更 なのかもしれません」
彩られた炎に照らされる私たちの頭上で、一つ二つの星がキラリと煌めき流れていく。
それくらいの沈黙の後、ゴーシュさんは先ほどまでとは違う穏やかな面持ちで話し始めた。
「−‥一年‥‥いえ、来月で丸二年になりますかね。僕があなたに手紙を届けたあの日から。
あなたとこうして二人きりで話す機会ができたことと今のこの時節が、あの時を思い起こす切っ掛けになったのかもしれない」
思い付いたかのように取り出される心弾銃。
側面には、いつもよりも艶やかな光が揺らぐ漆黒の精霊琥珀−‥。
「‥‥この心弾銃と精霊琥珀には、本当に世話になっています。
郵便配達員として手紙を配達する僕の片腕として、いつも僕と共にあった。
そして 鎧虫との戦いでも、僕の窮地を幾度となく救ってくれた。
ですが−‥」
視線が銃から私に移る。
「−‥初めてでしたよ。
あんな風に、問答無用とばかりに心弾銃を奪い取られたのは」
ふとした微笑み。
それが苦笑いなのか 自嘲の笑みなのか、そのときの私には判らなかった。
「あの頃の僕には、鎧虫を殺すな というあなたの言葉の意味が解りませんでした。
‥いや、違いますね。
実のところ、今でもよく解らない というのが本音です。
公私ともにあなたと関わりを持つ機会が増えてから短くはないというのに、あの頃のあなたの言葉、あなたの気持ちを、僕は未だ理解するに及ばない。
何があなたの心を鎧虫退治から遠ざけているのかは解りませんが‥
僕もあなたも、この青い制服を着ている限りは BEEとしての郵便配達を担っている。
僕たちは国家公務を背負っているんです」
‥夢の中の、青い制服。
BEEという存在。
少しでも手掛かりを掴みたくて、情報が欲しくて、その一心でカマを掛けた。
目の前に現れた唯一の情報源−‥手紙の配達に来た、ゴーシュさんに。
それが契機になったのだ。
鎧虫から逃れる術を持たなかった私が、鎧虫を屠(ほふ)る術を知る契機に。
そして、この穢らわしい青服を身に纏う契機−‥母と自分自身とに宿る力についてをも索(あなぐ)ることになる その契機に。
「‥あなたがBEEとしてどんなに優秀であっても、あなたが精霊琥珀の行使にどんなに長けていたとしても。
BEEとして任務遂行にあたる以上、鎧虫との対峙は避けられない。
それがBEEである僕たちに架せられた使命であり、逃れることのできない枷でもある。
一瞬の迷い 一瞬の判断ミスが、僕たちの生命を奪うことになる−‥」
ゴーシュさんがそう言った直後。
−−‥ザ‥ッ‥‥
ひときわ大きな水音が踊り、彼の言葉の端を掻き消した。
夢見せる舞台の終幕(フィナーレ)だった。
一斉に吹き上げられた 幾つもの水柱。
噴水近くに佇む私に、炎に彩られた水沫がキラキラと煌めきながら降り注ぐ。
水の精霊たちが、楽しげに私を取り囲む−‥。
「 ‥‥aquae, bene valeas et quiescas... 」
‥つい、声にしてしまった。
fausta nox
tibi gratias
‥bonam noctem
gratias, fausta quiescas..
次々と交わされる 精霊たちの音と心。
想いが直に伝わる異界の言葉に、胸が温かくなった。
宙に舞う水が在るべき処へと還っていく。
それに後追うように、辺りを照らしていた深い濃桃の焔が 一瞬にしてその存在を滅してしまった。
暗闇の中に、私たちだけを置き去りにして。
「‥‥‥終わってしまいましたね」
ゴーシュさんだろうか。
「そう、ですね」
それとも 私だろうか。
緞帳(どんちょう)の引かれた stage dance−‥
名残惜しさをはらむ声が、どちらからともなく零れ落ちた。
「−‥帰りましょうか」
僅かに流れた空白の刻。
流れる静寂に刃を入れたのは 女の声だった。
「‥‥‥。そうですね。
家まで送ります」
「‥‥。
えぇ、ありがとうございます」
未だ漂う水香の中、二人並んで歩き出す。
それからの私たちを包んでいたのは、黙(しじま)の支配する 粛然の世界 だった。
広場を抜け 夜想道を歩き、我が身を迎える木扉(もくひ)を目にする その瞬間まで−‥。
*****☆*****☆*****
numinous voice は「精霊の声」。
噴水広場での一幕の続きです。
主にはリリィとゴーシュの昔話ですね。
出会った頃に二人の間で何があったのか、リリィと精霊・精霊琥珀との関係性や リリィが身を置いている世界の世界観などが伺えます。
ワケの解らない単語をわんさか並べて ごめんなさい(屍)
そのうち語録に掲載します。
以下 補足です。
1:劇中の精霊語(ラテン語)について。
短い一文が5つありますが、大雑把に言ってしまえば「おやすみなさい」「ありがとう」というような意味の会話の遣り取りです。
それぞれのちゃんとした和訳はいずれ語録に載せますので、そちらを参照してください。
2:星屑の彩刻−‥星屑の噴水のイルミネーション・ショー について。
炎の色を変えるお遊び というのは「焔色反応(えんしょくはんのう)」のことです。
焔色反応というのは 劇中でも若干説明している通り、火が燃やす金属と化学反応を起こして炎の色を変えること を言います。
アルカリ性金属及び土類金属などを初めとした化合物を、無色の炎の中へ入れると炎が燃やした金属元素特有の色に変わります。
例えば カリウムを燃やすと炎は紫になり、バリウムを燃やすと緑になります。
因みに、劇中で使われている色は 銅 を燃やすと蒼色、ストロンチウム を燃やすと濃桃(に近い深紅)になります。
現実的には「お遊び」ではなく、化学分析方法の一つなんですけどね(^^;)
中学校の化学の授業でもお勉強するはず。
Tues.24.May.2015