※特殊設定
変な先輩だな、そのくらいの感覚だった。
補習課題を手にした笑顔の教師から逃げ出して、渡り廊下をそっと歩いていると、目の前からテニス部の先輩が歩いてくるところだった。
あー…、仁王先輩、だったと思う。
丸まった背中と、伏し目がちに下げられた視線のせいで俺には気づいてないらしい。
変な、先輩だ。
確かにレギュラーだし、強いんだと思う。それにしては、他の(例えば真田副部長とか真田副部長とか真田副部長とか)先輩たちが全力で部活をしている中、この人だけがうまくそれをすり抜けてさぼっている。
幸村部長くらいしか気づいていないんじゃないだろうか。
一瞬目を離すと、次の瞬間には姿を消している。
そんな先輩。
ぼんやり考えている間に仁王先輩はすぐ目の前まで来てきた。
まだ俺に気づいていないらしい。
挨拶、すべき?
すぅ、と隣を銀色が通りすぎようとしているのに気づいて、慌てて頭を下げた。
あ、れ…?
「…。あ、あぁ。お前さんか」
「ッス」
「用?とりあえず、その手離してくれんか」
仁王先輩が立ち去れないように、俺の手は何故かその手首を掴んでいた。
ぎゅう、と力を入れてしまったら消えてなくなりそうだ。
本当にこの人はテニス部員なんだろうか。
疑問に思ったけれど、今はそんなコトはどうでもよかった。
「おい、聞いと」
「甘い香り」
「…、」
「甘い香りがするッス」
果物みたいな香りがした。
香水とかそんなんじゃない。もっと美味しそうで、食べ頃の匂い。
口の中に唾液が溜まる感じがした。
「だったらなんじゃ」
ぎろり、と睨まれる。
ひゅん、と心臓が持ち上がった気がしたが、それでも手を離す気にはなれない。
ごくり、なにも飲み込むものなんてなかったはずが、知らない間に溜まった唾液のせいで大袈裟に喉が動いた。
空っぽになったはずの口を開く。
「ください」
「は…?」
「その美味しそうなの、ください」
その甘い匂いにひどく惹き付けられてしまった。
きっと、この先輩は他の人に隠れて、旨いものを手に入れたに違いない。
ひとつくださいよ、それだけ。
きゅっ、と見開かれた目に向かって、もう一度、くださいと言えば、俺が掴んでいない方の手で、銀色の頭をがしがし掻いた。
ふわりふわりと甘い香り。
すん、と鼻を利かせていると、目の前に金色の目があった。
「にっ、」
「まだ、じゃ」
「…へ?」
「お前さんには、まだやらん」
ま、レギュラーになったら考えてやらんコトもない。
くるりと方向を変えて遠ざかっていく背中を見つめた。
掴んでいたはずの手は、さっきの驚きで離れてしまったらしい。
頬をひっぱってみた、夢ではないらしい。
きゅっきゅっ、と手を握って開いて。
残った甘い香りを吸い込んでテニスコートに走った。
桃児仁王雅治と切原赤也