本日最後の授業は音楽。古文の授業をしていた我がクラス生徒一同は音楽室へ向かうためにぞろぞろと教室から出て行った。背中を見えない糸で引かれているような気がして、振り返ると、教室にポツンと残った一人の影を見つけて、立ち止まる。友達に「先に行ってて、あとから行くから」と言い、その人物のもとへ向かう。その人物――紫原敦くんはわたしの彼氏である。クラス公認なため、友達に「ちゃんと彼氏起すんだよー」と言われてしまった。少し照れながら紫原くんのところへ行く。紫原くんは机に覆いかぶさるようにして眠りこけていた。彼女として、音楽の授業へ遅刻することは許さない。


「紫原くん」


傍らにより、紫原くんの名前を呼ぶ。びくともしない体に溜息をついてもう一度声をかけた。「紫原くん、次音楽だよ」うーん、起きる気配なし。仕方なく紫原くんの前の席の三浦くんの席へ腰をかける。嫉妬したくなるくらいのサラサラの髪の毛を前に、わたしはいてもたってもいられなくなってつい、髪の毛を撫でてしまった。指と指の間を、紫原くんの細い髪の毛が通りぬけて行く。しばらくそうしていても紫原くんは起きることなく、授業開始を告げるチャイムが教室に鳴り響いた。


「うわ、どうしよう・・・」


今から音楽室へ走って行ったとしても授業に遅刻することには変わりないし、恥ずかしいな。紫原くんを起こそうとして授業に遅刻した、なんて、恥ずかしい。紫原くんの図体で覆い隠されている机の空いているスペースで頬杖をついた。いつになったら起きるんだろう、と考えながら髪の毛を撫で続ける。


「紫原くん、遅刻になっちゃったよ」


声をかけ続けても起きる気配は一向にしない。ならとことん紫原くんで遊んじゃおうか。自分の鞄からシュシュを取り出して紫原くんの髪の毛を三つ網に結んだり、お団子にしてみたり、ポニーテールにしてみたりして遊んだ。髪の毛の長さが足りなかったりして、面白い髪形になればこっそり携帯で撮っておさめておく。プププ、可愛い。そんなことをしていたらもう授業の半分を終えていた。きっとみんなが音楽室から帰ってきたらからかわれるんだろうなー・・・「二人で何してたんだよ」とか。それを考えるとちょっと憂鬱になってしまう。


「紫原くん」


何度も呼んでも起きてくれないから、君が本当に紫原敦くんなのかどうか、不安になってしまうよ。体を揺さぶっても、髪の毛を撫でても、遊んでも、全く起きる気配がしない。どんな夢の中にいたら、こんなに眠り続けることができるんだろうか。


「・・・敦、くん」


一度も呼んだことのなかった、下の名前。


「ん」


わたしがその名前を口にした瞬間、紫原くんの目が少しだけ開いた。わたしはすかさず紫原くんの視界に入り「音楽の授業、始まっちゃったよ」と言った。わたしがそう言うと、紫原くんはのんきな声で「あ、ホントだ」と欠伸をした。机から上体を起こして紫原くんは大きく伸びをする。わたしもつられるように頬杖をやめて背筋を伸ばして首をぐるんと一周回した。


「あ、結衣ちんサボりだー」
「紫原くんのせいでね」
「えー?おれのー?」
「そうだよー、起こそうとしても起きないんだもん」
「めっちゃ良い夢見てた気がするんだよね〜」


紫原くんは鞄からがさっと飴玉を取り出して、ひとつ、ふたつ、口へ放り込む。ブドウ味とリンゴ味の飴玉を一緒になめたらどんな味がするんだろう。紫原くんの夢の話が気になってしまって「どんな夢だったの?」と聞いてみる。紫原くんは小首をかしげて、「それが思い出せないんだよねー」と答えた。


「えー、思い出せないの?」
「良い夢だったーって実感はあるんだけど」
「そっか」
「うん。生クリームに埋もれるような夢だったよ〜」
「それって良い夢なの?」
「良い夢に決まってるし」


飴玉はまだ大きいだろうに、紫原くんはバリバリと飴玉をかみ砕き、席を立ち、わたしも立ち上がるようにと目で訴えかけた。その目に負けたわたしは観念し立ち上がると、紫原くんはさっきまで机にしていたように、わたしに覆いかぶさってきた。


「ちょ、重い!!」


紫原くんはわたしよりも一回りも二回りも、それ以上も大きい。そんな紫原くんに覆いかぶされたら重いってもんじゃない。紫原くんの体を支えるように一生懸命立っているけど、もう無理、足痛い・・・!ガクンと膝が折れ、倒れてしまうと思った時、紫原くんはわたしのことをしっかりと抱きとめていた。


「ほら、生クリームに埋もれてるみたいでしょ?」


そのたとえが分からないけど、たぶん今生クリームに埋もれているのはわたしなんだろう。


「・・・甘いかも、」


すごく甘ったるいかもしれない。こんな夢をもし紫原くんが見ていたとしたら、紫原くんにとっての生クリームはいったい何なんだろう、誰なんだろう。それがわたしであればいいと願った。

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