何の気なしに立ち寄ったとあるバル。まだ飲むには時間が早いかな、と思ったが、カウンターにはすでに女の人が一人。マスターに案内されるまま、その人から少し間をあけた椅子に腰をかけた。ここに来る前に立ち寄った服屋さんでお洒落な傘が売っていて思わず衝動買い。ちょうどこれから雨が降る予報だったし、傘は何本あっても困らない。ビニール傘はお洒落じゃないからね。


「ジントニックください」


マスターにそう言う。チラリと女性の方を見ると目が合って、会釈をした。


::


結局それから二杯飲んだ。なかなかいい店だった。曲のセンスも悪くないし、なによりもマスターがよく喋る面白い人。また来よう、そう思い木製のドアを開いて外に出る。軒下から踏み出そうとしたときにポツリと鼻先に水滴が落ちてきた。雨。天気予報って意外と当たるんだな、傘買っておいてよかった。買ったばかりの傘を開く。本当は朝おろしたかったんだけど背に腹は代えられない。さて行こう。と 思ったら。


「あれ、さっきバルにいた・・・」


雨のことに気を取られて、すぐ隣にいた人物のことが目に入っていなかった。バルでカウンターに座っていた女性が困った顔をして空を仰いでいる。思わず声をかけると「あー!」と言って明るい笑顔になった。「お隣さんですね!」


「どうかしたんスか?」
「傘忘れちゃって」
「急に降って来たッスからねぇ」
「どうしようかなぁ」


自分の右手にある、オニュウの傘。


「駅まで入って行きますか?」


また明るい笑顔になった。女の人は俺の横にこじんまりとおさまり、二人が濡れないように傘を傾けて駅まで歩いた。割と近いところに駅があり、すぐに駅に着いた。特に話はしなかった。急に雨が降って来て困った。この傘カワイイね。そんな程度のお喋り。


「ありがとう!このお礼はいつか必ずするから!」


そう言って女の人はぶんぶんと手を振って改札の向こうへい消えて行った。自己紹介も、連絡先も交換していないのに、このお礼はいつか必ずって、そんなの信じられない。


::


別に良く通るわけじゃない。あのバルの前の通りは。最近できた服屋さんを見に行ったときにたまたま通りかかっただけであって。あの日買った傘を片手に、あのバルに立ち寄った。


「あー!」


木製のドアを開けてすぐ、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。カウンターに目をやるとあの日一緒に傘に入ったあの女の人がいる。マスターに案内されたわけじゃないけど、女の人の隣に腰をかける。「ジントニックください」別に好きなわけじゃないけど、こう言っておけば格好つくような気がして。


「今日はね!お礼するよ!おねーさんが奢ってあげます」
「いいんスか?」
「もちろん!」


そこでやっと自己紹介をして、マスターも真帆さんも「やっぱり!キセリョだと思ったんだよね!」と声を揃えた。モデル最近めっきりしてないんだけどなぁ。意外と有名だったのね、俺。


「大学入ってからはモデル全然してないんスよ」
「なんでー?かっこいいのに」
「他にもしたいこといっぱいあって」
「そうなんだ」
「うん」
「真帆さんは?」
「毎日同じことの繰り返しだよ」


::


「ごちそうさまでした」
「なんのなんの」
「また会えたらその時は」
「うん」
「また飲もッス」
「うん」


真帆さんはまた大きく腕を振って、改札へ消えて行った。


::


あのバルに行けば真帆さんはいるような気がする。だけど真帆さんに会いに行くためにそのバルに行くなんて、なんかそれ、すげぇやだ。そのバルを通り過ぎて、駅へと向かう。すると後ろから「リョータくん!」と明るいあの声が聞こえて、思わず振り向いた。真帆さんが手を振りながら走ってくる。途中でつんのめって前に倒れ込みそうになったのを、俺が慌てて支えた。


「なんで通り過ぎちゃったの?今日は行かないの?」
「あ、えっと」
「じゃあ違う飲み屋さん行く?」
「え?」
「晩御飯まだ?」
「まだッスけど・・・」
「じゃあレッツゴー!」


着いた先は大衆居酒屋で、真帆さんは慣れた感じでテーブルにつく。おつまみ数品にビールを頼むと、豪快に飲み干した。すげぇ。真帆さんは俺に色んな話をしてくれた。その中で「わたしが思ってたキセリョと、リョータくんって別人だ」って言ったのを、俺は多分この先忘れられないと思う。

珍しく酔っ払った真帆さんは覚束ない足取りで駅へと向かう。今日の真帆さんはなんだかいつもと違っていて、同じことの繰り返しの日々で、なにかが起きてちゃったんじゃないかって、疑ってしまった。腕時計に目をやると終電の時間が近づいているのが分かって、少しだけ焦り始める。「真帆さん終電何時?」「えー?一時かな?」「本当?」「うーんたぶん」ふらふらしていて、俺が支えてないと転んでしまいそうだ。ああもう、何やってるんだろう俺。マフラーをきゅっと後ろで結んで、マフラーに顔をうずめた。アルコールが入っていても、寒いもんは寒い。


人との距離を掴むのが苦手だった。すべてを冷めた目で見ていたから、尊敬する人とそうでない人の差がありすぎる。だから初対面の人とか、全く関わったことのない顔見知り程度の人には、どうやって接したらいいかわからなくなってしまう。これでも結構高校入ってから叩き直されたような気がするんだけど。はああと長い溜息をついて、真帆さんの肩を持つ。アルコールに混じって、真帆さんがいつもつけているであろう香水の香りがした。


::


「・・・真帆さん」
「なんですかリョータくん」
「終電・・・行っちゃってるじゃないッスかあ!」
「えぇー?あ、ほんとだ」


俺たちが駅に着いた頃はもうとうに電車が行ってしまったあとだった。俺が帰る電車は終電まだ先なんだけど、酔っ払った真帆さんを一人、置いてなんて帰れない。ひとまず真帆さんをベンチに下ろし、 て


「いま なにして」


俺が屈んだ時、俺の首に巻かれたマフラーを、真帆さんは引っ張って、俺の唇に唇を押しつけた。真帆さんの目を捕える。


「ごめん、リョータくん。今までの全部」


「わざとだよ」


アルコールのせいか、熱っぽい真帆さんの瞳から、俺は目を逸らすことができない。



「本当は傘 持ってた」
「これも 酔っ払った フリ で」
「終電だって 本当の時間分かってた」



全部全部わざとだったとしても


「リョータくん」


結局 結果は 変わらないんじゃないかな。

巻いていたマフラーを真帆さんの肩にかけてあげる。コートのフードを深くかぶって、二人の顔を隠すようにして、俺は自分の唇を真帆さんの唇にくっつけた。


「わざとでもいいよ」


真帆さんの罠ならどんな罠でも引っ掛かってあげる。
全部見えていても、見ないふりしてあげる。


「だから俺に溺れてよ」

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -