飛び込んできた。わたしの視界の中に。

「悠くん」

もうそんなに、おおきくなったんだ。
流し見していた地方ニュースに、近所に住んでた田島さんちの悠くんが映っていた。どうやらこれから始まる甲子園の地区予選で、それぞれの学校の野球部に訪問しているらしい。
小さいころから野球がうまくて、みんなのヒーローだった悠くんは、高校生になってからもそうらしい。短い5分足らずのニュースだったけど、悠くんのことはよくわかった。

大人になって、おんなじ地域だけど、一人暮らし初めて。実家は近いけど、なんとなく帰りたくなくて。久しぶりに帰ろうかな。電車で30分もかからない。本当にすぐなんだ。

テレビをぱちんと消して、鞄にお財布とスマホだけ入れて、家の鍵を閉めた。パスケースを自動改札機にかざして、ホームへ行く。線路から夕焼けが差し込んできて、目に眩しかった。なんで悠くんがテレビに出てきたから、実家に帰ろうなんて思ったんだろう。普段全然帰りたいなんてこれっぽっちも思ってないのに。心に何かが引っかかってるみたいだ。わたしの心が、釣り糸にからめとられる見たいで、気持ちが落ち着かない。滑り込んできた電車に乗って、開いてる席に腰を掛けた。30分あるから。そう胸の中で呟いて、わたしは目をつむった。

走馬灯のように、今まであったことが脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。本当にわたし、死んじゃうんじゃないかと思うくらい。記憶が繊細によみがえってくる。

『おおきくなったら、おれと』

そんなこと、あったよなぁ。
記憶から醒めて、目をうっすら開くと降りる駅に到着していた。慌てて飛び降り、うーんと体を伸ばす。そんなに夜は更けていないのに、人の姿はまばらだ。道は覚えてる、当たり前だ実家だもん。まばらな人についていくようにして外へ出ると、あたりがすっかりと暗くなっていた。ジーワジーワとセミの鳴き声が聞こえる。埼玉は、本当にどこ行っても暑いな。おでこに滲む汗を手の甲で拭う。暑いときに暑くなるようなことをする人の意味がよくわからない。

ただ、悠くんはこんなに暑くても、一生懸命に野球、やってるんだろうな。

大人になると、そんなに単純に生きれない。これからのこと、とか、自分のやりたいこと、とか、生きる意味、とか。明日のこと、とか。未来に不安しかなくて、いつもなにかに追いかけられているみたいに焦っている。まだ実家に暮らしていたころは、もっと未来に夢があって、大人っていうものは本当にかっこよくて、素敵なものだと思っていたのに。それが、これ、だ。思い描いていた将来像と、とてもかけ離れている。わたしはこんな大人になりたかったわけじゃないのに。

今、悠くん見たらきっと目が潰れそう。きらきらしてるもん。

「ただいま〜」
「えっ帰って来たの!?来るなんて一言も言ってなかったじゃん!」
「うん。ごめんね、急に帰りたくなって」

実家に帰れば驚いた顔した母親が、「布団なんて用意してないわよ」と溜息をついた。

「晩御飯は?」
「まだ」
「今日ね、田島さんちからトウモロコシもらったのよ!」
「あ、そうなの?」
「うん。蒸してあるから、それ食べながら待ってて、今何か作るから」
「ありがとう」

自分の部屋に行くと、妙にこざっぱりとしている。そりゃそうだ。ここを離れてからずいぶん経つから。ベッドの上にタオルケットなんてなく、マットレスだけ。倒れ込むようにベッドへ身を沈める。湿気っぽい。
ちら、とスマホに目をやる。21時、か。
ぐぅぅと大きな音を立ててお腹が鳴る。荷物も置いたことだし、居間に行こう。テーブルの上にはお皿に山盛りになってるトウモロコシ。かじりつけば甘い味が口いっぱいに広がった。ああ、悠くん。

「おい、しい」

なぜか目にじわじわと涙が溜まっていく。

彼は、遠い人になってしまった。



ずっと前から、本当は知っていた。彼はほかの誰とも違っているってこと。きらきらした宝石を持っているんだって、一番最初に気が付いたのはわたしだったはずだ。
トウモロコシ食べながら泣けてくるなんて、わたし、心のネジ、きっとどっか行っちゃったんだよ。お母さん、わたしが泣きながらトウモロコシ食べてるから、何も聞かずテーブルに野菜炒めをドカリと置いて、「食べ終わったらシンクに置いといて、もうお母さん寝ちゃうから」と言って寝室へ行ってしまった。そっとしておいてくれてるのか、それともただたんに放任なのか。何も聞かれないことが、わたしにはちょうどよかった。

トウモロコシも野菜炒めもお腹一杯になるまで食べたらビールが飲みたくなって冷蔵庫を開ける。あ〜、なにもありゃしないよ。仕方ない。お財布とスマホをゆるいジーパンに詰め込んで、わたしは玄関から出る。リーリーと鈴虫が鳴いてる。むわっとした熱風がわたしの体にまとわりついて不快だ。ただ歩いているだけなのに肌に汗が滲む。食べきるころにはすっかり涙は止まった。泣くことは心のデトックスとはよく言ったものだと思う。心なしかすっきりしている。

歩いて10分もすればコンビニがあった。すっかり夜も更けているのに、中には人の姿があって入りにくかったが、こんな時間だし、知り合いに会うはずもないだろうと、コンビニのドアを押した。何を食べよう。体に悪いものが食べたい。

「・・・・!真帆ちゃん!?」

スナックコーナーをうろついていると、急に誰かに名前を呼ばれて振り返った。

「悠くん」

ねぇ、なんでこんなところにいるの。


「久しぶりだなぁ!なんでこんなとこいんの?帰って来たん?」
「うん。帰って来たの、今日」

悠くんの後ろから、同じように日に焼けた顔をした男の子たちがやってくる。「田島〜誰〜?」と聞かれた悠くんは少し悩むしぐさを見せて「オレの幼馴染」と言った。うん、年が離れてはいるけど、幼馴染だ。

「あ、野球部の人たち?」
「そうそう。さっき練習終わったから、今から帰るトコ」
「こんな遅くまで練習してたんだ。お疲れさま」
「真帆ちゃんも。てかここまで一人で来たの?オンナの一人歩きは危ないよ」
「平気だったよ」
「いや、危ない!帰りは送る」
「悠くん友達いるんじゃん。わたしのことは気にしなくていいよ」
「気にする!ほら、何買うか決まってンの?」
「あ、ビール」
「・・・・」
「買ってきまーす」

冷えたビールを二つばかり手に取ってレジへ行く。後ろから悠くんがやってきて、会計の時にアイスをこっそりと並べた。仕方ない、買ってあげるか。にんまりと嬉しそうに笑う悠くんは「ありがとー!」と元気に礼を言って、さっさとコンビニから出て行ってしまった。わたしもコンビニから出ると、そこにはすでに先ほどの野球部員たちはいなかった。田島君は自転車に跨りながらスマホをいじっている。

「帰ろ」
「うん」

カラカラと自転車のチェーンが回る音が聴こえる。悠くんが自転車を手で押しながら、シャリシャリとアイスをかじっていた。カランコロンと、二つの缶ビールがぶつかって音を立てる。

「予選、もうすぐだね」
「知ってたの?」
「うん、ニュースで見た」
「今からワクワクしてる」
「・・・すごいなぁ、悠くんは」

小さいときからずっとそばで見ていたような気がするけど、本当に昔からすごかった。

「すごかない。自分の好きなことだから」
「それでも、すごいよ」

わたしなんて、自分がなにがやりたいかとか、なにがすきかとか、見失ってしまっている。夜道だっていうのに、悠くんの姿がきらきらと光っているように思えて、わたしは強く目をつむった。やっぱり眩しい。

「ね、なんで悠くんはそんなに野球に一生懸命になれるの?」
「ソリャ、好きなことだし、それに」
「それに?」
「言ったじゃん、オレ、大きくなったら、オレ、真帆ちゃんとケッコンするって」
「へ、」
「ホラ、オレ、もう真帆ちゃんよりも背、高くなったよ」

立ち止まった悠くんが、わたしと背くらべするように、手で自分の頭に触れて、そして水平に手を伸ばした。悠くんの手から、わたしの頭は拳一個分くらい空いている。たしかに、悠くんはわたしよりも大きくなった。

「大きくなったね」
「でしょ?」
「うん」

それ、冗談じゃなかったの?

「予選勝ち進んで、甲子園行って、オレが行進してるとこ、真帆ちゃんに見てもらう。そんで、オレにヒーローインタビュー来たら言うんだ」

「真帆ちゃん、オレとケッコンしてくださいって」
「本気?」
「じゃなかったら言ってないよ。だってどうせ、真帆ちゃんすぐどっか行っちゃうんでしょ」
「行かないよ」
「行く。いつだって真帆ちゃんはオレをおいていくんだ。すぐ、大人になったりして」

大人になったと言っても、中身はずっと変わらないままだよ。

「待ってて」

そう言われたら、頷くしか他ないじゃない。

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