終電間際の混み様に辟易しながら並ぶ。まもなく電車が〜とアナウンスが流れて、閉じそうな瞼に力を入れた。ここで寝るわけにゃあいかない。駅のホームに電車が滑り込んでくる。後ろのおっさんが俺の体を押して、早く乗り込もうと必死だ。押すんじゃネェよタコが。プシューという気の抜けた音ともに電車のドアが開き、満員電車から続々と人が降りてきた。


「すみません」


その降りてきた中の一人の女の人とぶつかって謝られ、俺は頭を下げた。ときに見えた、彼女が落としたパスケース。とっさに拾って振り返ると、後ろのおっさんに思いっきり靴を踏まれた。そんな焦って電車乗り込もうとすんなヨ。彼女の姿はもう見えなくなっている。この電車のがしたら終電危ういしどうしよ…と悩んでるうちに後ろのおっさんに順番抜かされた。ふざけんな、と思いつつ、やっぱり人の好い俺は人の波に逆らって彼女の姿を探した。

改札逆かもしれない。正直どんな顔してたか覚えてない。覚えてるのは すみません といったあの声と、俺と同じくたびれた靴を履いていたってことだけ。

一番近くの改札に彼女は居なかった。やっぱり逆だったか、と俺は駅の中を走る。もう一つの改札が近づく。「すみません、定期を落としてしまったみたいで」さっき聞いたばかりの すみません の声が聞こえて、俺は走るのをやめてキョロキョロと辺りを見回した。


「あっ、」


見つけた彼女だ。駅員さんに事情を話す彼女の隣に並んで、「コレ、落としましたよね?」と言うと、彼女はまじまじと俺の顔を見てから何か思い出した様にポンと手を打った。「さっきホームで!」そして俺の手の中にあるパスケースを大事そうに受け取ると「本当にありがとうございました!」と頭を下げてくれる。駅員さんは違うお客さんに呼ばれてどこかへ行った。


「イエイエ、ちゃんと届けられて良かったです」
「なにかお礼を…だけどこの時間じゃ何もできないですし」
「お礼なんてソンナ!俺ももう帰んないと、明日も仕事だし」
「と言うか終電大丈夫ですか?」
「エッ」


彼女のこと探すのに必死で終電のことすっかり忘れてた…。慌てて腕時計で時間を確認するが、もう終電はいってしまった後で、俺はガックリと肩を落とす。人好すぎでしょ、俺。何やってんの、ホント。


「もしかして」
「終電逃しました」
「わ、わたしのせいですよね…」
「イヤ、気にしないでください。社に戻ってそこで寝ます」
「そんなんじゃ疲れ取れないですよ!」
「あー、慣れてるんで」
「…その、よければわたしの家に来ます?」
「は?!」
「あ!嫌じゃなければ!使ってない部屋ありますし、お礼と言ってはアレですが…」


給料日前。ホテルに泊まる金なし、会社に風呂なし。そんなら決まりじゃないか。


「じゃ、一晩だけお世話になります」


彼女の家はなかなかの良いマンションで、俺の家よりもずっと新しく見えた。彼女が言った通り部屋は一つ余っていて、そこには大きなダブルベッドが置いてあった。


「え、俺こんないいベッドで寝ていいんですか?」
「はい。わたしのベッドはこっちの部屋にありますので」


彼女の部屋は独身の女性が住むにしては広すぎて、そして生活感がほとんどない。俺が先に風呂を借り、上がるとふかふかのバスタオルと、そしてメンズサイズのスウェットが置いてあった。あれ…?もしかして彼氏いるんじゃね…?美人局?俺の身危なくね?なんて思いながら部屋に戻ると彼女は軽い食事の準備をしてくれていて、よく冷えたビールを差し出された。「おひとついかが?」美人局でもなんでもいーや。「じゃ、ご相伴に預かろうかな」


彼女は驚くほど酒が弱く、一口で酔っ払ってしまった。テーブルに突っ伏す彼女はうわごとのように「なんで…なんで…」と呟いた。なんなんだ。俺はなんてとこに来てしまったんだ。少しばかり後悔すると彼女は急に目を覚まし、「あんたが悪いんだ!あんたが!他所に、女作るから…」と俺に詰め寄った。


「このマンションだって、ベッドだって、ペアグラスだって、なんもかんも、いらなくなっちゃったじゃん…。婚約してたのに、馬鹿じゃないの…」


どうやらこの綺麗なマンションは、元婚約者と共に買ったものらしい。そしてその元婚約者が浮気をして破綻。ベッドもペアグラスも、今俺が着てるスウェットも、その時の名残のようだ。

酔っ払ってるし、覚えてないだろうけど、慰めにはいられず、「男はソイツだけじゃねェよ」とか、「早く新しい男見つけたらァ?」とか、「もう捨てちゃいなヨ!ベッドとか!」とか、「なんなら俺があんたのこともらってやンよ!」とか、無責任なことを投げかけた。


「ほんとう?」


縋るような目で見つめられて、息を飲んだ。ビールのおかげで酔いが回っていたが、一気に醒める。ああこれは、嘘がつけない。


「本当。その証拠に一晩、一緒にいてやるよ」


ベッドの上じゃなくて、このリビングに。君がためてた胸の内を、全部聞かせてくれたら、そしたら泊めてくれたお礼に。


(なんて、ぶっ飛んだ考えしていい年齢なんかネ)


三十路が目の前でチラついてる。

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