猫を拾った。秋が深まって、もうすぐ冬が来る寒さ。小さなダンボールの中でミィミィ鳴いてる猫は小さく、どう見ても赤ちゃんだ。まだダンボールを乗り越えられないのか、中でグルグルと回っている。ビュウ、と強い風が吹いて、枯葉が舞う。枯葉を目で追うと、今にも雨が降ってきそうな雲が視界に入った。 「寒かったでしょ、すぐ家着くからね」 言葉が通じるとは思えないけど、わたしは猫に話しかけた。真ん丸なお目々が不安げに揺れる。わたしはダンボールを持ち上げて「心配しないで」と言った。 ポツ、ポツ。 心配しないでとは言ったけど、家に着くまでに一雨来そうだ。ダンボールを抱えて、わたしは歩き出す。雨に降られる前に帰らなくちゃ。首に巻いたストールを猫が寒くないようにかけてあげると、嬉しそうにミィ、とまた鳴いた。 雨足が段々と強くなってゆく。それにつれてわたしも歩みを早める。早く帰らなくちゃ、猫もわたしも風邪をひいてしまう。猫の様子を伺っていると、目の前に誰かいたことに気がつかず、ぶつかってしまう。 「す、すみません」 慌てて前を向くと、そこには伸びたパーカーに着古したジャージを履いた男の人が無表情に立っていて、わたしの抱えるダンボールの中を覗き込んでいた。片手にビニール傘、片手にビニール袋を提げてる男の人は動く気配がない。 「猫、連れて帰るの?」 「え、はい、そのつもりです」 「…そっか」 「どうか、したんですか」 「これ、あげる。あとこれも」 そう言って男の人は両手に持っていた傘と袋をわたしに差し出す。ビニール袋の中身は赤ちゃん用の猫缶と、猫用のミルクだった。 「もしかして、あなたが飼うつもりで…?」 先にこの男の人が連れて帰ろうと決めていたのなら、ここで親権争いをしなくてはならないのかもしれないと思い、聞いてみると男の人は首を横に振って「うちじゃ飼えないから」と言った。 「そう、なんですか」 「うん。ちょうどよかった」 「それなら、いいんですが」 「これ、どうぞ」 その猫缶も、ビニール傘もありがたいんだけど、わたしはいまダンボールを抱えていて、それを受け取る余裕が、 「あ、持てないか」 「えと、はい」 「じゃあ、送ってく」 男の人はそう言って、わたしと猫が濡れないようにと、ビニール傘を傾けた。 「いいんですか?」 「うん。どうせ暇だし」 「じゃあ、お願いいたします」 「はい」 ガサ、とビニール袋が鳴る。わたしのストールの隙間から猫が顔を出して、ミィと鳴いた。その声を聞いた男の人はぼーっとしていた瞳を少しだけ輝かせて、「よかったな」と小さく呟いた。ずっと無表情で、内心怖いなと思ってたけど、優しい顔も、するんじゃないか。 雨足はどんどん強くなる。ビニール傘を弾く雨の音がリズミカルだ。猫が濡れないように、男の人は細心の注意を払っているよう。 男の人が、なにを考えているのか、わたしには全く読めない。ただ、猫がものすごく好きなんだってことはよく分かった。ちらり、と男の人の顔を盗み見るが、もう猫をみることはなく、ぼーっとした目でまっすぐ前を見るだけだ。わたしの歩く速度に合わせてくれるし、ぶっきらぼうに見えるんだけど、本当は優しい人なんだと思う。 結局、わたしの家に着くまで一言も喋らなかった。猫は寒くなったのか、ストールの中に戻ってから出てくることはない。わたしの住んでるマンションの前に着くと、わたしがお礼を言う前に「ありがとう」と言われ、面食らった。 「お礼を言うのは、わたしの方です。ありがとうございました」 「うん。それじゃ」 隣にいたから、ずっと気がつかなかったけど、男の人の反対側の肩が濡れていることにいまやっと気がついた。 来た道を戻っていくその背中に向かって「待ってください!」と大きな声を出すと、肩をビクッと震わせて「なに?」と男の人は振り返った。 「タオル、持ってくるのでちょっとそこで待っててください、動かないでください」 念を押すように「いいですね?」というと、男の人はコクコクと頷いた。急いで部屋に行き、猫がいるダンボールを置く。新品のタオルと、通販で買ったらサイズが全然大きかった服をクローゼットから取り出した。 マンションから出ると、道路の隅でちゃんと待っていてくれた。体がすっかり冷えてしまっているのか、男の人唇が少しだけ青いように見える。 「遅くなってすみません」 「いや、」 「タオルと、あと服なんですけど、よかったら着てってください」 「え」 「あと、猫の様子、たまに見に来てくれたら、嬉しい、です」 だって本当に、猫のこと大事そうに見ていたから。 「色々ありがとうございました」 半ば強引にタオルと服を押し付ける。なんだか恥ずかしいし、猫の様子が気になるから、足早に戻ろうとすると、今度はわたしが「待って」と呼び止められた。 「僕、松野一松」 「……まつの、いちまつ、くん」 「あなたの名前は」 「内田真帆です」 「また来てもいい?ですか」 「はい。あの、待ってます」 |