やっぱり普通の鋏で髪の毛を切るのは無理があったらしい。僕の前髪の毛先はパサパサになり、この髪型のせいで部のみんなにうるさく言われて苛立ってしまう。仕方なく髪の毛を整えてもらおうと思ったのだが、昼間は試合をしているから美容室に行くことはできないし、夜は当然のことながら美容室は閉まっている。大会二日目が終わり、自由時間になった夜、俺は一人でホテルを抜け出した。短くなった毛先が首にかかってくすぐったい。適当に歩いているとそこらかしこに美容室の看板を見つけることができた。が、どこもかしもこ閉店していて、髪の毛を切ってくれそうなところは一つもない。諦めホテルに戻ろうとしたとき、まだ明かりのついている美容室を発見した。雑居ビルの二階部分美容室のようで、そこが煌々と光っている。階段に足を踏み入れて、美容室を目指した。ドアの前にたどり着き、どうしようかと考える。OPENと書かれた看板がぶら下がっていた。インターホンがあるわけじゃない。でも何も言わずに突然ドアを開けるのは気が引ける・・・。仕方なくドアをノックするが返答なし。もう一度ノックをするとどたばたという騒がしい音の後にガチャリと静かにドアが開いた。


「店長、わたし練習が足りなくて・・・って、アレ?」


とても個性的な髪形をした、お洒落に疎い僕でもわかるくらいのお洒落な格好をした女性がドアを開いたようだ。店長と勘違いしたのだろうか、おずおずと物を言う女性だが、店長ではないと分かった途端に笑顔になり、「すみません!お客様ですか?」と言った。これが営業スマイルかと感心する。


「もしかして閉店後ですか」
「そうなんですけど、ドアにクローズって看板下がってなかったですか?」
「オープンになっていましたが」
「ぎゃっ!本当だ!」
「・・・」
「わ、わたしまだ見習いで、お客様の髪の毛切ったことないんですけど、あの、その・・・」
「あなたが切ってはくれないんですか?」
「え、だからわたし見習いで・・・」
「構いません」


僕がそこまで言うと彼女は困ったような笑顔を見せ、店内に俺を招き入れた。「店長には内緒ですよ」と言いながら。店内には頭部だけのマネキンが数個あり、床には髪の毛が散らばっている。女性がここで練習していたことがうかがえた。女性はささっと床を箒で掃くと、僕を鏡の前に座らせ「今日はどんな感じにしますか?」と言った。「整えてくれたら、それで」と答えると「お任せとか整えるだけとかが、いちばん難しいんだよね」と笑った。良く笑う人だ。


「江川さん、って言うんですね」
「なんで名前を!?って名札してたね、わたし」


鏡に映った名札から江川さんの名字が見えた。江川さんは俺の髪の毛を丁寧に洗い、そしてついに切り始める。毎回思うことだけれど、美容師という人たちはお喋りが好きだ。髪の毛を切っている間ずーっと喋り続け、髪の毛を乾かす間も喋り続け、髪の毛をセットする間も喋り続ける。よくもまぁそこまで話題が途切れないものだ。江川さんも例外ではなく、良く喋る。喋るけど気が着いたら自分自身のことをぺらぺらと喋り出していた。話を聞き出すのが上手ですね、江川さん。


「へぇ、じゃあ明日もまだ大会あるんだ」
「はい。あと4日あります」
「4日ありますって言うってことは、決勝まで行く自信があるってことだね」
「もちろんです」


僕の髪の毛をセットし終わった江川さんは、「こんな感じでいかがでしょう?」と言い、鏡越しに僕の瞳を見てきた。「良いと思います」と言うと江川さんはほっと胸をなでおろしたようだった。


「無理なお願いを言ってしまってすみません」
「いえいえ、わたしも生身の人間の髪の毛切る方が勉強になりますので」
「とてもすっきりしました」
「あんまり変わってないように見えちゃいますけどね」


料金の相場が分からないので適当に福沢諭吉さんを一枚カウンターに置くと「いやいやいやいやいいよいいよ!」とすごい勢いで断られてしまい、渋々と財布にお金を戻した。何度も何度も渡そうとしても断固として受け取らない江川さんを僕は頑固だと思う。


「じゃあ、絶対決勝まで行くので、大会見に来てください」


そう言い諭吉さんを手渡しながら「お車代です。これ、使って体育館まで来てください」

観念した江川さんはお金を受け取り、「必ず行くので決勝まで勝ち残っててくださいね」と笑った。その笑顔を見ると胸の奥がぽかぽかとしてきてなんだか照れ臭くなり、江川さんが整えてくれた髪の毛をくしゃと撫でる。そんな僕を見て江川さんは「とても似合ってますよ」と言う。接客業をしている人は、人を喜ばせるのが上手だ。まんまとそれに嵌ってしまう僕は実は簡単な人間なのかもしれない。



負けられない理由が、また一つできた。
僕はもう一度、美容室じゃないところで江川さんに会いたい。

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