9時に自然と目が醒めた。朧気な視界が次第にはっきりしてくる。パソコンに打ち合わせのメールが数件届いている。千代からのメールはなかった。携帯にはレイジとショウからメールが届いていた。千代からの着信、メールはなし。ないからと言って、どうということはない。仕事がある日の朝はいつも、「おはようございます美風さん」から始まる電話をボクにしていたのに。それがない。


だから どうということはない。


ソングロボであるボクに朝ご飯は必要ない。昼からの仕事は、千代に散々ダメ出しをされたあの曲を先方に聴かせるための打ち合わせ。メイク用品とのタイアップになっているから、そのうち行われるCM撮影の打ち合わせにもなるのだろう。CDに曲を落としてケースに入れ、鞄にしまう。まだ時間に余裕がある。今急ぎの仕事はないし、早めに事務所に行くことにした。部屋を出てエスカレーターに乗り込む。一つ下の階、千代の住んでいる階のボタンに指が進んだが、そのまま1を押す。ボクが千代の家を訪れる理由なんてない。


事務所に着くと受付の人に「おはようございます」と挨拶をされる。「おはよう」と返すと、受付の人は事務的に笑顔になる。約束の時間までまだまだある。マネジメント課のドアのすぐ近くまで来て、その部屋に入らずにドアのガラスから中を覗き見る。千代の席に千代の姿はない。


・・・おかしい。


千代はボクに冷たく対応するけど、ボクより後に仕事にくることはなかったし、仕事のある日はボクのことを迎えに来て、千代に別件がない限り共に行動していた。その千代がボクにモーニングコールもしない、ボクを迎えにも来ない、出勤もしていない。ボクの体の奥が少し冷たくなったような気がした。・・・なにこれ。鞄から携帯を取り出して、着信履歴のほとんどを独占している千代に電話をかけた。普段ならば3コール以内に出るのに、千代は電話に出ることなく、留守電に切り替わってしまった。


おかしい。


確信に変わる。
もう一度電話をかける。・・・出ない。打ち合わせの時間までまだまだ時間はある。来たばかりの事務所から出て、自分の家へと引き返す。ああもう、なんでボクはこんなに焦っているんだろう。こうなるんだったら最初から千代の階で降りて千代のところに寄ればよかった。なんとなく急ぎ足になる。徒歩ですぐのところにあるボクの自宅兼スタジオ。急ぎ足がいつのまにか駆け足になっていた。息を上げることなく到着。エレベーターに乗り込んで、千代の自宅になっている階のボタンを押した。玄関を前に立ちインターフォンを鳴らすかどうかで少し考える。常識として一応押しておこう。ピンポンとインターフォン音が鳴る。しかし応答はない。ドアノブに手をかけ、捻る。開くとは思っていなかったが、ドアは開いた。チェーンもかかってない。いとも簡単に部屋に侵入することに成功した。・・・千代は一体なにをやっているの。


「千代、いる?」


玄関から千代を呼んでみるが反応はナシ。仕方なく靴を脱いで上がる。オフィスビルを住めるように簡単にリフォームしてあるようで、千代の部屋は殺風景だ。家具があまり揃っていない。だからと言って生活感がないというわけではなかった。散らばる服に、シンクに溜まっている食器。見当たらない千代。小さなオフィスビルだけど、部屋数は多い。別の部屋に向かう。隣の部屋へ続くドアを開く。


「千代!」


ドアを開いてすぐのところに千代が倒れこんでいた。急いで駆け寄るとすーすーと寝息を立てている。おでこに手を当てる。・・・熱はないみたいだ。千代の体を持ち上げると、想像していたよりも軽い。目の前にあったベッドに千代の体を乗せると、千代はうっすらと目を開ける。


「あれ、美風さん・・・?」
「なんで今起きるの」


せっかくボクがベッドに寝かせてあげたのに。千代は何も分かっていないようで、頭にクエスチョンマークをたくさん浮かべているみたいだ。そして枕元に置いてある時計に目をやると「ああああああ!もうこんな時間!!!」と叫んだ。今気がついたけど、千代は化粧したままの顔に、休みの前日に来ていた服をのままだった。顔はやつれたままだけど、目のクマは少しだけ良くなっている。


「美風さん!今日打ち合わせがあって」
「昼過ぎからだよ」
「そうですけど、もう事務所行かないと」
「千代は?」
「今起きます!先に行っててください」


ばさっと布団から飛び起きる。が「いたたたたたた」と頭を抱えてうずくまった。


「千代は人間なんだから」
「?美風さんだって」
「今日の打ち合わせくらいボク一人でできるよ」
「わたしも行きます」
「寝てなさい」


起き上がろうとした千代のおでこを指でツンと押す。千代は諦めたように目を閉じた。


「時間までには起きます。だから、その」
「なに?」
「ちょっとだけ 寝かせて くだ」


そこまで言うと千代は再びすーすーと寝息を立て始めた。・・・昼ご飯でも作って待ってようかな。腕まくりをして、とってつけたようなシンクへ向かった。

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