幽が血だらけの女のひとを、部屋に連れてきました。

(あ、確かこの人、聖辺ルリってげいのうじん、だ)






「ど、どうする?救急車、呼ぶ?」
「ううん、知り合いの医者の所に連れて行こうと思ってる」
「あ、そうなの。だいじょうぶ?肩貸そうか」
「いや、平気。あみは留守番してて。もしかしたらパパラッチ来るかもしれないから、絶対出ちゃだめだよ」
「わかった」

血だらけの人をひょい、と持ち上げた幽は、そのまま部屋から出ようとして、





(あ)


見てしまったのだ、幽とその人が、キスをするところ、を。


そりゃ、テレビでは何回も見た。幽と知り合ってから、幽が出てたドラマとか、映画とかは見るようにしてたから。キスシーンだってラブシーンだってベッドシーンだって全部見た。だけどどうってことなかった。だってテレビの中の、ブラウン管の向こう側の幽と、わたしの目の前にいる幽は別人だって、とらえていたから。つまりわたしは、幽が誰かとキスするところを生では見たことがなかった、と、いうことなのです。
ショックっていうよりも、全身の血がなくなったみたいに、体が冷たくなって、何も考えられなくなった。幽は幽なりに考えて行動していたんだろう。考えなしに行動するような人じゃないってことはわかってるし、わたしが悲しむことはしない人だ。だから、何か意味があったに違いないんだけど。

バタン、と扉が閉まって、鍵が閉まった音がした。



どこに行くのかな、幽は。





交友関係はほとんどと言っていいほど知らない。幽の携帯のアドレス帳には社長とマネージャーとお兄さんと他数名。両手の指に収まるくらいしか登録されていない。そこに聖辺ルリの名前はなかったから、特別な関係ではない、はず。特別な関係は、わたしだけだと、思っていた。恋人は、わたしだけだと、おもっていた。


立ちすくんだまんまのわたし。
煌々と光ったまんまの蛍光灯。
空っぽの部屋にわたしだけ。
幽はいない。
どこかへ行ってしまった、わたしの知らないどこかへ。



不思議なことに涙は出なかった。薄情な女なのかな、わたし。悲しいことだと意識はしている、でも涙は出なかった。
わたしの目の前で、キスをする、幽を見た。ただそれだけなのに、こんなに悲しくなるなんて、思ってもみなかった。いや、想像してなかった。わたしの目の前で誰かとキスをする幽のことなんて、考えてなかった。











「ただいま」
「おかえり」

何を喋ったらいいかわからない。いつもと変わらないような態度を見せようと思っていたけど、でも、それもうまくできなくて、ああああああどうしたらいいのわたしは、何を言ったらいいの。幽に、何を伝えたいの。わたし以外とキスするな?言えるわけがない!わたし以外を見るな?言えるわけがない!わたしだけを好きでいて?言えるわけがない!言えるわけがないんだ!嫌われたくないんだ、離れて行ってほしくないんだ、だから言えないんだ。弱虫なんだ、わたしは。

「・・どうしたの?」
「ううん。あ、お腹減った?なんか作ろうか?」
「いや、食べてきたから」
「そう」


幽が出て行ってから、しばらくしてやっと動けるようになった。
ソファに体育座りで座って、いつもならテレビつけて幽の出ているドラマを見たり、DVDを見たりしてるけど、それをする気にもなれなかった。無音。たまに聞こえる車の排気音。救急車のサイレン。それだけだった。


幽はゆっくりわたしの隣に座って、同じように体育座りをした。いつもならわたしがべらべらと喋り出して、幽相槌をうつ。でも今日はそれがなくて、黙り込んだまま。頭の中が空っぽで、何を喋ったらいいかわからないの。






「ごめん」
「え、」
「ごめん」
「なに、どうしたの、幽が謝ることなんてなんもないよ」
「部屋から出る前に彼女とキスをしたのは、パパラッチ対策であって、彼女が好きだからとかそういうわけじゃなくて」
「う、ん」
「確かに彼女はすごく仕事熱心で、尊敬するところもたくさんあるけど、俺が好きなのはあみだけであって、その人じゃなくて」
「うん」
「だからごめん」
「うん」
「その、悲しませてごめん」
「うん」

一生懸命言い訳する幽がなんとなく、かわいくて、謝られることをしたのかな、と思った。



幽の顔が近付いてきて、わたしはそっと目を閉じた。唇に感じる温度、涙が出た。



ごめんね、幽。どうやらわたし、君を好きになりすぎてしまったようだよ。だからこのキスがとても悲しいんだ。








(キスをすることがこんなにも悲しいものだなんて)



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