まだ頭から離れない、幽とルリさんがキスをした。まるでドラマのワンシーンのようだった。でもドラマと違うのは、わたしの目の前で、じかに起こったっていうこと。ブラウン管の向こう側ではなく、わたしの、現実で。幽がどうしてキスをしたのか、なんとなくわかる。世間に恋人はルリさんだと知らしめるため。そうすればわたしの存在なんて誰も気づかないし、目にも留めないだろう。わたしの身は安全になる。でもわたしの心は?全然安心なんてできない。平穏なんて訪れない。

あの日から、何日もたったのに、幽はわたしのことを好きだと言ってくれているのに。

幽はまだ帰ってこない。気を紛らわすためにテレビのスイッチを押したら再生されたままになっていた幽のドラマが流れた。この後の展開も知っている。幽が思いを寄せる女性にキスをするシーン。見たくなくて目を閉じて、聞きたくなくて耳を塞いだ。違う違う。これは偽物だ。本物の幽は、いつもわたしの隣にいる幽だ。・・・本物の、幽?本物の幽っていったいどれなんだろう。誰なんだろう。いつもそばにいたから分かったつもりでいた。だけど本当は何も分かっていなかった。


幽、本当の君は誰なの?
(いつもわたしのそばにいてくれた君が、本物で会ってほしいと、心の底から思った)





・・・




「別れてください」

彼女が何を言ったのか理解するまでに、少し時間がかかった。





家に帰ると、いつもみたいに彼女はパタパタと玄関までやってきて、 おかえりなさい と言った。もう何度目かもわからないくらいだ。リビングに着くまで彼女は今日あったことをたくさん話をし、俺はそれに相槌をうつ。すると彼女はふふと嬉しそうに笑って、今日の晩ご飯はなにか教えてくれる。向かい合わせにご飯を食べることだっていつものことだったし、仕事の話を聞いてる彼女はいつもどおり真剣で、時にはアドバイスをくれたりしていた。ご飯を食べ終わると俺は風呂に行く。いつも彼女に「一緒に入らない?」と誘ってはふられて、一人で広い浴槽に体を沈める。風呂からあがると彼女はテレビの前にあるソファに深く腰をかけ、俺が出てる番組やドラマを見ている。その横に座ると、俺にもたれかかってくる。その、もたれかかられているときに、彼女は俺に別れ話を持ちかけた。


「え、あみ?」


別れてください と言ってもなお、俺にもたれかかっている彼女の心が読めない。というか、本当にさっきまでいつもどおりだったのに、何を唐突に。

彼女の肩が震えだし、嗚咽が聞こえた。俺は焦って彼女の肩を掴み、ちゃんと正面に向き合う。彼女は涙をぽろぽろと流し、それをぬぐうように頬を抑えた。


「どうしたの、」


聞いても首を横に振るだけ。

俺ってもしかしたら彼女のこと何も分かっていなかったのかもしれない。誰よりもそばにいたつもりだったけど、一人にさせることが多かった。一人でここにいて、俺を待ってる彼女のこと、全然考えてなかった。俺は俺のわがままで、彼女をここに置いていたことを、初めて知った。


「ごめん」

「ごめん」


なんだかすごく申し訳なくて、気がついたら謝っていた。彼女をがんじがらめにして、ここに縛っていたのは俺だ。


「幽」
「ごめんあみ、ごめん」
「泣かないで、幽」
「泣いてなんか」


頬を触ると、生ぬるい水が垂れていた。あれ、俺、泣いてる?演技なんてしてないのに、泣いてる?


「なかないで」
「うん」


あみはあやすように俺を抱きしめて、二人して顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いた。別れたくない。俺はあみを手放したくないんだ。もっと大切にするって誓う。だから、俺のとなりにいてほしい。ずっとずっとずっと。わがままだな、俺。


「別れたくない」
「うん」
「別れたくないよ」
「うん」


でも、本当に彼女が別れたいのなら、別れた方がいいんだろう。そうしたら、俺は笑顔で別れようと思っている。その笑顔が、演技でも。




・・・




「おかえり!」
「ただいま」
次の日、部屋の中が真っ暗だと思って開けたドア。でもいつもみたいに明るかった。ぱたぱたとリビングから彼女がやってきて、にっこり笑った。それを見ただけなのに俺は、嬉しくて泣きそうになった。まだ彼女は俺のそばにいてくれている。当たり前の日常が、どんなに大切なものか、やっとわかったんだ。



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