光さやけきまじないは
2
 

「……ずいぶんと好かれているようで」
 姫が戸に背を向け、薬草を干す算段を練っていると、外から男の声がした。
「どなたです?」
 姫は薬草を土間のすみに置き、戸の内側に立って、そろそろと外を見わたした。
 昼下がりの陽射しに目を細めていた姫の胸が、大きく脈打つ。
 戸のななめ前、村の隅を流れる小川のそばに、立派な青年がたたずんでいた。
「お久しぶりです、姫」
 萌葱色の衣をまとった年若い貴族は、慣れ親しんだ相手を前にしているかのように、礼をしてきた。ひなびた村には似つかわしくない、優美な所作。
 涼やかな面(おもて)は微笑をたたえているが、あいまいな表情でもあり、瞳にうずまく情動はいまいちうかがえなかった。
「……人違いではございませんか?」
 姫は戸のかげに顔を半分隠しながら、慎重にたずねた。警戒心から、自然と語尾がするどくなってしまった。
 たぶん、人違いではないだろう。
 都の貴公子然とした青年の顔には、見覚えがあった。よく似た顔立ちの、けれどももっと柔和な面持ちだった人物を、姫は知っている。
 ひだまりの干し草のようにやわらかく乾いていた姫の心に、小さな炎がともった。たちのぼる煙のようないがらっぽい感情が、姫の胸中に広がってゆく。
 よそよそしい態度の姫に、青年はくちびるの端に色をともす。おもしろがっているような、あざけっているような、ゆがんだ笑みだった。
「すぐれた織り手で、博識なうつくしい娘がいるとの噂を聞きました。たまたま陸奥へとおもむくことになったので、寄り道をして、わざわざあなたを訪ねたのです」
 青年はゆるやかに足を踏みだし、姫に近づいてくる。
「いいえ、人違いですわ」
 姫は後ずさり、開け放たれた戸に手をかけた。青年があと一歩でも歩み寄ろうものなら、勢いよく戸を閉めてやるつもりだった。
「そもそも、わたくしはあなたさまのような高貴な方と、吊り合うような女ではございません。さっさと失せてくださいませんか」
 戸のかげから片目だけ出しながら、姫は有無を言わさぬ調子で青年に告げた。まじろぎもせずに、光のもとにいる青年をにらみつける。
 ふと、逆光となった青年の顔に、陰惨な影がさした。
「いいえ、あなたは私の探しびと。もう一度まみえたいとこいねがっていた、たったひとりのひとです」
 あやしい眼光をともした青年に、姫はかつての名前を呼ばれる。二年前、京から逃げ出した夜に捨てた、なつかしくも忌まわしい名前。
 姫の手足から血の気が引いていく。
 まばゆい景色のなかにいるのに、眼前に墨色の紗がかかったかのように、視界が薄暗くなった。
 姫はゆっくりと、大きく呼吸を繰りかえす。胸中に小石が詰まっているかのように、息がうまく吸えなかった。
「……どうやら、逃げきれなかったようですね」
 姫は観念し、戸のかげから全身を現した。
「このとおり、今のわたくしはきれいな着物もまとっていませんし、化粧もしておりません。よく、わたくしがなにものであるか、気づきましたね。そもそも、わたくしの顔を正面から見たことがないでしょう」
 おそれ半分、あきれ半分な心持ちで、青年と向き合った。
 青年は目元に青黒い影を宿したまま、姫のすぐ前に立つ。
「忘れられるわけがありません。兄を殺した、あなたの顔を、声を」



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