それは数日前の満月の夜のこと。
詳しい経緯は何度聞いてもありえなさ過ぎて理解ができないのだが、要するに彼女はこの目の前でにやりと笑っている男に手違いで連れてこられたのだ。
誰と間違われたのかと言えば彼の使役する式神の一人と。
彼女の中でも一番しっくりくる言葉を使えば「召喚失敗」、と言うもの。・・・らしいと言うことを二日ほどかけて理解した。
それはまぁともかくとして、何気ない日常を過ごしていた彼女を間違って呼び出してしまった男はどうするかと思いきや、初対面の、しかも自分の手違いで迷惑をかけている相手を口説いてきたのだ。
それに対して気が動転した彼女が「気持ち悪い!近寄んな!」と腹を立てて頬を思いっきりぶったのも仕方のないことである。
そんな子女とも思えぬ乱暴さに男が驚いて「鬼のような娘だ」と言ったので「望むところだ狐男」と言い返してやったのが始まりである。
そんな事だったから、てっきり元の場所に帰してくれるのか(もしくは置き去りにされるか)と思いきや、男はそのまま自分の屋敷に連れ帰り、こうして部屋を与え、食事と着る物を与えてくれた。
それが物好きだからなのか、罪悪感から来るものなのかは判断つきかねるところである。
「鬼姫、今日もまた奇妙奇天烈なものを書いているね」
「あんたにはそうでしょうよ」
しかし、このアルファベットもアラビア数字も彼女がいた場所ではごくごく当たり前のものであった。
むしろこんな、筆だったり、着物だったりの方がないとは言わないが、少数であった。
「そなたは見ているだけで愉快だ」
「それを言われる私は最高に不愉快だ」
「ははは!そう言うところもまた良い。今まで出会ったことのない」
「そうでしょうともよ」
はん、と鼻を鳴らして立ったままの男を見上げた。
「千年も先の時代の女なんて後にも先にも私だけでしょうね」
そう。
彼女は今よりもっと、ずっと先の時代から、時を遡ってやってきたのだった。
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