月が昇る夜半。紫はそっと部屋から門のほうを見た。そこには、昨日までは立っていなかった見知らぬ警備の者がいる。正面突破はどう考えても無理だ。塀をよじ登るなど、もっての他である。
「どうしよう…。昨日、あんな別れ方をしてしまったわ…」
気にかけたところで、はっとした。どうして自分は、こんなにも彼のことを気にしているのか。会いに行かなくてはと、切望しているのか。外に出なくてはと、一緒の時間を過ごしたい、と。
こんなにも、願っている。
「…、緋桜、会いたい、です…」
「呼んだ?」
幻聴まできこえるとは、重症だ。顔を両手で覆い、紫ははらはらと涙を流す。自分のために泣くのは、いつぶりなのだろう。溢れて止まらないこの気持ちは、一体なんだろう。
簀子に座り込んでいた紫の肩に、不意に誰かの手が置かれた。
「ねぇ、今俺の名を呼んだでしょう」
「…え…」
目の前に屈みこんでいたのは、珍しく白拍子の衣装でない緋桜だった。きちんとした、男の恰好である。長い髪は結い上げてあるからなのか、女には見えなかった。
紫の肩を掴んだまま彼は首を傾げさせた。
「ま、幻ですか…? わ、私は…」
「落ち着いてよ。現実だよ、現実。触っていいよ?」
そうは言われても、紫は目の前の彼がどうしても本物だとは思えなかった。
彼は今夜もいつもの場所で舞いの練習をしているはずなのだ。こんなところへやってくるはずがない。しかも都合よく、うちの雑色としてなど。
混乱して黙り込んでしまった紫に対し、しばらく落ち着いて、俺ここにいるよ、などと言っていた緋桜はそれが無駄だということに気づいたらしく。
強行手段に、出ることにした。
掴んだ肩を引き寄せ、その腕の中に。
紫を、閉じ込めた。
彼女の息が、止まってしまうのではないかという懸念を抱きながら。
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