月夜白拍子
 


「舞ってる姿がきれいだった。俺もやってみたくなった。その意地を張りすぎたせいで、家は追い出されたけどね」


 理由としては、舞いたかっただけだよ。と。
 紫は目を見開き、緋桜を見つめた。彼は首を傾げさせ、負けじと目をそらさずに見つめ返して来る。


「それだけ?」


「俺にとっては大事だったんだよ。紫にはないの? 譲れない思い、みたいなものは」


 問われて、詰まる。まるで心を鷲掴みにされたようだ。体までもが、動かなくなる。生まれてこの方、欠片も考えたことがなかった。

 譲れない思い、などと。そんなおこがましいことを。

 ぽかんとしている紫を見た緋桜は、またしても出会い頭のように笑い出した。


「その様子だと、ないみたいだね?」


「…なんだか悔しいです」


「悔しがることはないよ。そのうちいやでも出てくるものだから。俺みたいに、いくつもね」


 そう言うと同時に緋桜は立ち上がり、地面に敷かれた御座の上を進む。その後ろ姿を視線で追っていると、背中に流している長い髪がほつれていることに気がついた。
 あのままではほどけなくなって、やむを得ず切ってしまわないといけないことになる。彼の名を呼ぼうとした紫は、寸手のところで口を閉じた。

 彼のことを、なんと呼ぼう? 名前は教えて貰ったので勿論知ってはいるが。普通に呼んでもいいのだろうか?
 迷った末に、紫は心を決めた。


「…緋桜様、あの、髪がほつれていますから…私に梳かせてください」


「緋桜でいいよ。俺だって紫って呼んでるし。ん、髪お願い」


 どうやらもう一曲踊ろうとしていたらしい緋桜は、素直に戻って来ると紫の隣りに座り背を向けた。立っていると膝の辺りまでありそうなたっぷりとした髪は、岩に座ると地面すれすれになってしまう。
 紫は丁寧に髪を手繰り寄せ、己の膝に乗せた。そして手櫛でほつれた髪をほどいていく。


「女の子は大変だよね。こんな長い髪だと、梳くのにも洗うのにも時間がかかる」


「慣れてしまえば、それも楽しみのひとつになるのですよ」


 紫は自分の髪の手入れをするのが好きだった。母の髪を梳くことも、頼まれれば喜んでやる。家でじっとしていることの多い彼女にとって、数少ない自分が出来ることのひとつだった。
 一番すきなことは書を読むことだが、いかんせんそんなものを買うお金などない。これから嫁ぐ先では、すきなだけ書を読めるのだときいた。それはそれで、楽しみではあるのだが。

 思っていたより、心が浮かれないのはどうしてだろう。両親にも、快諾をしたはずなのに。


「紫? どうかした? そんなにほつれてる?」


「え? あぁいえ、大丈夫です。これならすぐになんとか出来ますから」


 それにしても綺麗な髪だ。毛先まで真っ直ぐで、濡れたように艶やかに黒く光っている。誰もが憧れそうな髪である。己の髪をちらりと見て、そっと溜息を吐いてしまうほどに。
 紫の髪は、黒ではない。親譲りの、焦げ茶色の真っ直ぐな髪をしていた。どうせなら自分も真っ黒な、出来れば彼の髪のような色で生まれたかった。

 黙っている紫を不審に思ったのか、緋桜は振り返る。極自然に彼女の頬に手を伸ばし、優しく触れて。


「紫? ぼうっとして…大丈夫? 熱はないみたいだけど」


「…っ、は、はい! だ、大丈夫です!」


「女の子は柔らかいね。はー、ずっと触ってたい」


 両頬に手を添えられ、さわさわと触られる。息すら止まりそうになり、胸が痛いくらいに鳴る。きこえてしまうのではないか? 震えているのが、伝わってしまうのではないか。
 しばらく触れていた手が不意に離れ、そのまま頭に移動する。撫でられているのだと気づいたのは、少し経ってからだった。


「俺、紫をびっくりさせてばっかりだね。…どうせ触るなら、別に理由を作ったほうがよさそう」


「え? ど、どういうことですか…?」


「紫、舞に興味はあるかな」


 そういうと緋桜は、懐から取り出した蝙蝠をぱらりと開いたのであった。



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