月夜白拍子
 


 紫の歳は、十八。つい先日、嫁ぎ先が決まったばかりである。いつまで経っても結婚の決まらない娘の心配をした両親が業を煮やし、持って来た縁談だった。
 あれやこれやとしている内にその話は進み、文を交わすこともままならぬまま婚姻を結ぶことと相成った。
 相手の顔も知らない、いくつなのかもわからない、どこの誰なのかもわからない。わからないことだらけだったが、紫は両親からその話をされたときにはわかりました、と物静かに答えたのであった。
 いやだという感情はなかった。ただ、こうして誰かのところへ嫁ぐのは運命として決まっていたのだと、自分自身が納得していたのである。少し嫁ぎ遅れてはしまったが。
 その結婚相手が太宰という知らない土地へ勤め先を変えるのだときいたときは驚いた。そのまま破談になるかと思いきや、紫を太宰まで連れて行きたいと言い出したらしい。
 ついて来てくれますか、という文に対し紫は、わかりました、と両親と同じように返事をした。
 
 返事をした、その日の夜。寝つけずに茵でぼうっとしていた紫はふと、自分が今まで住んでいた邸を、外から見たくなった。
 生まれてこの方、邸から出たことなど数えるほどしかない。そのときだってすぐに牛車に乗せられてしまい、生家を眺める余裕もなかった。

 だから。

 慣れない壺装束を探し出し、自分で着付け、見つからなかった市女笠は被らずに外へと出たのだった。そこで迷い込んだ森で、彼と、緋桜と、出会ったのだ。




 翌日の夜中。迷った挙句に紫は、再び邸を抜け出した。
悪い人ではないのだ。あんなに親切にしてくれたのに、まだお礼もお詫びもしていない。言いに行かなくては。


 森の入口に立ってはっとした。昨日は迷ってあそこに辿り着いたのだから、意図的に行くことは出来ないのではないか。どうしよう、と路頭に迷い始めたとき。
 足元に、点々と真っ白な石が転がっていることに気が付いた。それが森の奥まで続いている。
 もしかして、と高鳴る胸を押さえながら、紫は森に足を踏み入れた。



 予感は当たっていたようだ。石をひとつひとつ追って行くと、そこには昨夜と同じ光景が広がっていた。
 月明かりに照らされ舞う、緋桜。今度は隠れることをせず、紫は御座の敷かれた岩に腰掛けて彼の舞いを堪能することにした。
 紫が来ていることに気が付いているのか、それとも舞うことに夢中になって気づいていないのか。彼は微塵も動揺を見せず、最後まで舞上げた。ぱたりと蝙蝠を閉じ、息切れをしながら紫に向かって微笑んだ。


「来てくれたんだね、ありがとう」


「こ、こちらこそ…昨日は、ありがとうございました。あと、逃げ出したりして、ごめんなさい」


「気にしてないよ。仕方のないことだし。今日来てくれたことで帳消しにしてあげる」


 懐に蝙蝠を仕舞い紫の目の前に立った緋桜は、隣りに座ってもいいかを尋ねてから同じ岩に腰掛けた。視線を合わせ、花が綻ぶように微笑む。
 女の紫でも見惚れてしまうような、柔らかな表情だった。


「俺のほうこそ、昨日は驚かせてごめん。男の白拍子なんて、びっくりしたでしょ?」


「はい…。白拍子は、女の方がなるものだときいていたので…」


「まぁ、普通はそうだよ。俺が変わり者なだけ」


 こほんと咳払いをし、緋桜は地声を探している。歌ったあとに己の声が思い出せなくなるのは本当のようだ。
 烏帽子を脱ぎ払い、風通しをよくするためか広げて木の枝に引っかける。


「知ってる? 烏帽子って結構蒸れるんだよ。俺もう暑くて暑くて…」


「それにしては、涼しい顔で舞っていたようでしたけど…」


「それはほら、これでも舞い手だからね。悟られないようにしないと」


 懸緒を解き、襟元を少しだけ緩ませる緋桜。紫は頬が熱くなるのを感じ、どうしたらいいかわからず顔を逸らした。
 気づいた彼が、苦笑いをしながら襟元を正した。


「ごめんごめん。刺激が強かった? 本当に男に会ったことないんだね」


「…どうして、男の方のあなたが白拍子になろうと思ったのですか?」


 そう尋ねると、彼は短く唸ったあとにさらりと告げた。


「きれいだったから」


「…え?」



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