透渡殿でぼんやりと壷庭を眺めていた高比良は、慌ただしい足音と共にこちらに向かってくる由芽の姿を見て、目を丸くした。
「高比良さま!」
「どうしたの、由芽?」
息をきらしながら由芽は、きゅっと…高比良の衣の袖を掴むと
「あをもみぢ いろはうつれど 思ひ出づ そを語らむや ゆめの通ひ路」
早口でまくしたてるようにそう詠んだ。
「由芽…」
今一度、名を呼ばれて我に返った由芽は慌てて衣から手を退くと、「申し訳ございません!」と深々と頭をさげた。
そして手にしていた檜扇を開いて、顔を覆うと
「ただ…お返しのお歌がないのは失礼と思いまして…」
と、建て前を述べた。
自分の精一杯の想いを和歌に託して、建て前で隠した本心…。
まだ、心の臓は早く鳴っていた…。
寝殿の方から管弦の音が響いてきた…。内大臣と公達の宴はまだ続いているようだ。
局からも相変わらず女房たちの賑やかな声が聞こえる…。
「昔と何も変わらないね…。だから此処に戻ってきてしまうんだろうな…」
ぽつり…と高比良は呟いた。
「由芽…」
「はい?」
「また、来るよ。その時までに、もう少し碁の腕を磨いておかないとね」
高比良の屈託ない笑顔に由芽は、余計な事を考えすぎていたのではないだろうか…と後悔した。
そして、その笑顔に安堵した。
高比良の笑顔は幼い頃と変わらないのだから…。
ゆっくりと、緊張と不安が和らいでいく…温かな雰囲気…。
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