声の主に、由芽の心拍数が上がる。
碁に集中することで落ち着いた気持ちが、一気に乱される。
「お休みのところ、申し訳ない…」
高比良の声は素面の時と同じで、酒を飲み呂律が回らないという状態ではない。その様子からすると、酒の勢いでふざけて来た…という感じでもなさそうだ。
「いかがなさいましたか?御用でしたら、女房を取り次いできてくだされば良かったのに…」
平常心を装いながら、業務的な事を述べてみる。
夜分、女の所にくるなど…夜這いと思われても可笑しくない…。高比良はその事を分かって由芽の局に来たのだろうか?
(昼間、二人きりでいた事ですら十分可笑しな話だというのに…高比良さまは、浅はかだわ…)
おろおろと挙動不審になりつつ、由芽は碁盤の前から御簾の方へと移動した。
「幼馴染なのに他の女房を介するのも変だと私は思うんだが…」
高比良のその言葉に、幼い頃の二の宮の台詞が思い出される。
(高比良さまは本当に馬鹿なんだわ…!)
不安な思いが一気に吹き飛んだ由芽は、苦笑いを零しながら檜扇を広げ
「幼馴染だと思ってくださるのは、身に余る光栄な話です。しかし世間体を考えなさいませ。昼間は大目に見るとして、夜更けに一介の女房の所に来るなど…可笑しな話です」
と、すまして説教まがいな事を言ってみた。すると御簾越しから、真剣な声で「由芽まで二の姫の乳母みたいな事を言っている」と高比良が言っているのが聞こえ、由芽はますます可笑しくなってしまった。
「それで、御用はなんでございましょう?二の姫さまはとうに就寝してしまいましたよ。言伝ならお預かりいたします。」
必死に笑いを堪えながら、由芽は業務的内容を述べる。すると高比良は「うむ…」と軽く頷いて
「先刻の和歌の意味を聞き出したくて来たのだがな…」
と、由芽の不安のど真ん中を突いてきた。
高鳴る鼓動を抑えるように、軽く息を吐き呼吸を整えると「畏まりました。明日、姫様に聞いてみますね」と返事を述べ、由芽は御簾の前から立ち上がった。
だが、由芽の動きはそこで止まってしまう…。
御簾の端から、するり…と高比良の手が進入してきたのだ。
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