安常処順
 

今の季節が夏とはいえ、夜は冷える。
昌暁は冷え切った己の体を早く暖めようと、屋敷の門を開いた。
その際に葵に物言いたげな視線を送ることを忘れないあたり、彼に身長の話題は禁句であったようだ。
門を超えた後に見えるのは屋敷の玄関。
この時間である。
当然そこには誰もいないひっそりとした空間であろう場所に小さな人影が一つ。
「昌暁様、葵さんおかえりなさい」
まるで囁くような細く高い声音でそう言ったのは昌暁より幼いであろう風貌の一人の少女だった。
少女はいつものように二人が少女の言葉に答えてくれると思っていた。
葵もいつもと同じように少女に穏やかに「ただ今帰りました」と告げる。
いつもと違っていたのは昌暁だった。
昌暁は玄関にいる少女の姿を認識すると一瞬驚いたかのように瞠目した。
だがそれも本当に一瞬のこと。
昌暁はすぐに落ち着きを取り戻すと早歩きで少女に駆け寄った。
「皐月まだ起きてたの!」
「えっと、その。すみません」
少年の様子に皐月と呼ばれた少女は怒られると思ったのか、両肩を下げ、申し訳なさそうに俯いた。
その様に次に慌てたのは昌暁だった。
まさか少女がこれほどまでに落ち込んでしまうとは夢にも思わなかったのであろう。
昌暁は助けを求める様に葵を見るが青年は我関せずとでも言いたげに一人屋敷に上がり始めている。
青年の助けは得られない。
そう理解した少年は未だ俯き続ける少女になんとか顔を上げてもらおうと声をかけた。
「や、その。嬉しいんだけど、もう遅いから」
出来るだけ優しく、これ以上落ち込ませることのないようにと思いながらかけられた言葉に少女は弾かれる様に顔を上げた。
「い、いえ!その、今夜は月が綺麗でしたので、是非昌暁様と、その…」
前半は表情を真っ赤にし、それでも意思の強い瞳で昌暁を見つめながら言葉を発していた少女であるが、後半になるにつれて目元を潤ませながら声音は小さくなり、最後にはついにまた俯いてしまった。
俯いてしまった為、少女の表情を見ることは叶わないが、耳元は真っ赤だ。
おそらく少女は何かを誘いたいのであろう。
しかし少女の今の様子ではそれを聞くだけでかなりの時間を要しそうである。
昌暁もどう聞こうかと思案していた時。
「どうやら皐月は君とお月見がしたかったようですよ?」
今まで己は関係がないとでも云う様に二人を無視し、一人屋敷に上がっていた青年は、二人のまるで進展のない様子に呆れたのか、玄関から見える縁側に置かれている物に視線を向けながら少年に告げた。
青年の視線の先には団喜。
先ほど少女は確か「月が綺麗」だと言っていた。
昌暁は葵の言葉にようやく納得すると、笑顔で皐月に右手を差し出した。
「そうだね、やろうか」
少年の手を取る少女の表情は未だ赤みがあるものの、とてもいい笑顔だ。
葵は少女の笑顔を見ると口元に薄らと笑みを浮かべた。
そのままその場を立ち去るつもりであったのだろう、屋敷の奥へと一人向かい始めた青年を引き留めるように青年の袴の裾を引かれた。
袴の裾を引いたのは少年と少女の二人。
「ほら、葵も来い!三人でやるにきまってるだろ!」
「あ、あの!葵さんも御迷惑でなければっ」
少年はまるで当たり前のことのように、少女は控えめではあるが、その表情は断られることは考えていない者のそれである。
この二人を振り切るのは至難の業であろう。
青年は早々に諦めると彼らに向き直った。
「仕方ないですね」
少年と少女、二人にそう答えた青年の浮かべる表情はとても穏やかな、優しいものだった。
とても大切な、宝物を見つめるような。
そんなとても、とても優しい眼差しだった。



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