君恋ふる、かなで
 



「――少将」


リン・・・っと、白い影が陽だまりの中にその姿を現した。

「・・・綾衣(あやぎぬ)」

まだ呼びなれない女房名を漏らすと、齢僅か十二の少女はその顔に安堵を咲かせた。
藤壺の奏者――かの玉依姫である。

透けるような白い肌に、露を含んだ艶やかな黒髪。丸みを残した輪郭に浮かぶ桜貝の唇。
白一色で統一された細長に身を包んだ姿は、美貌の斎院として名高い珠子内親王の面影をよく宿していた。
ただ、母宮とは対照的に少女の双眸はぬばたまの実を砕いたように黒い。

為直が真っ先に印象を受けたのもその瞳の色だった。

年頃の少女ながら真っ直ぐとこちらを射抜く眼差しは、全体的に大人びた雰囲気の彼女を何処となく幼く見せた。

「憲継殿、こちらが藤壺の奏者、綾衣です。・・・綾衣、左大臣のご子息、頭中将・藤原憲継殿だ。今回の女楽で笙を担われる」
「綾衣と申します。どうぞ、お見知りおきを」
「おや、こんなに可憐な少女が演奏していたとは驚きだ。・・・他の女房たちに引けを取らない、素晴らしいものを聞かせてもらったよ」

憲継の言葉に、少女は頬をぱっと珊瑚色に染めた。
彼女にとって腕前を褒められるということは、今までにない経験だったのだろう。
その反応はあまりにも純真だった。
そんな様子に変わらぬ笑顔を残して去っていく憲継を見送った後、為直は傍らの少女に視線を移した。

「この分だと、父上に奏者として推薦するしかなさそうだ」
「・・・ほ、本当ですか?」

為直の回答に、熱を残した頬を再度染め上げ、玉依姫は喜びに震えた。
今にも飛び跳ねそうな気配に、青年は思わず少女を凝視した。

「そんなに、女楽に出たかったのか?」
「はい!どうしても、一度、大勢の前で演奏したかったのです・・・夢のようです・・・」

少女の表情があまりにも幸せに満ちていたからだろうか。
ぽつりと提案が漏れたのは、気まぐれではない。

「・・・それなら、せっかくだから他の奏者と話してきたらどうだ。どの女房も、綾衣同様、楽への関心が――」
「――いいえ。今回は遠慮しておきます」

だが、為直の言葉を遮ったのは、静かで激しい否の答えだった。
それまでの幼い表情が嘘のように、その顔には無表情が張り付いている。
楽を褒められたときのように頬を染めて飛びつくかと思っていただけに、青年の方が拍子抜けした。
ただ、袖から覗く小さな掌は強く握りしめられていた。


そのとき、忘れかけていた少女の立場を改めて思い知らされた。


***



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