君恋ふる、かなで
 


結局、藤壺の提案に父は折れ、晴れて為直は玉依姫の楽の判定者となった。
昨年、五十の賀を迎えた父ですらあの姉には苦心しているのだ。はじめから、若輩の自分が相手に出来る相手ではなかった。
手にした龍笛を掌の上で弄びながら、つい三日前の問答を思い出していた為直であったが、ふと秋風に乗って女房たちの囁き声が聞こえた。

「・・・まぁ、凍少将だわ」
「あら本当。・・・今回の女楽では、横笛を担われるのね」
「そうそう、凍少将と言えば藤壺の奏者を御覧になって?共に参内なされる姿など、本当に一対の絵のようで・・・」

凍少将というのは為直の異称である。
誰にも心を許さず、笑顔を見せない若君――その仏頂面を揶揄した藤壺の悪口が定着してものである。
不名誉極まりない名だったが、彼女らはその所以を知らないのか、生真面目で麗しい近衛少将を「凍少将」と呼び合い、うっとりとした声音で褒めそやしていた。これには為直も、いつもの諦め癖を発揮する。

さて、普段は、内宴や相撲神事でしか扱われることのない綾綺殿(りょうきでん)も、今日ばかりは女房たちの鮮やかな装束と囁きで満たされていた。
これから、女楽の試楽が行われる。
当日は、奏者を選出する局以外の女房の見物は認められておらず、誰もがこの華やかな行事を楽しもうと、こうして大勢が詰め掛けているのだった。

そんな彼女たちの声に耳を傾けていた為直は、微苦笑を口の端に浮かべた。
その藤壺の奏者こそ、かの玉依姫であるのだが、この場にいる誰一人としてそのことに気づきはしない。甘い溜息を零しながら災厄の象徴を褒め称えていた。

(皮肉だな。まぁ、この分なら当日も心配ないだろう・・・。ただ、問題は・・・・・・)

と、そんな彼の心を見透かしたような間合いで、調律の一音がその場に響き渡る。


――ポロ・・・ン・・・。


音を追いかけて、為直は奏者たちが控える局――その中でも右端の一角に視線をやった。
御簾にはそこに控えた人物の身元を示すように、紫の飾り房がかけられている。

「おや、凍少将が熱い視線を送るのはどの局の女房かな」

そこへ、からかう声がかかった。

「・・・憲継殿」
「やぁ、すまないね。遅れてしまって」

左大臣の嫡子、藤原憲継(のりつぐ)は、そう言って彼の横に腰を下ろした。
為直と同様に今回の女楽では笙の笛を担当することになっている。
青年より十も年上の憲継だが、その笑みは童のようであった。

「珍しいね、君がご執心とは」
「・・・執心など・・・ただ、姉が推薦した女房があまりにも幼いので、心配していただけです」

彼の言葉に、為直はいつもの調子で答える。
その仏頂面に気を悪くするでもなく、憲継はおや・・・と首を傾げた。

「藤壺からは、周防の君が出ると思っていたが・・・その様子だと違うようだね」
「・・・えぇ、俺もそう思っていたのですが、周防の君はただいま里帰り中だそうで」
「なるほど。それは残念だな・・・兵部卿宮さまも、父も、予想が外れたか」


そして、その状況さえ楽しむように笑いを噛み殺した。



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