器楽を構えた奏者たちに、緋桜は首を振った。蝙蝠を取り出し、右手に持って。口を開く。
彼が歌い出したその曲に、きき覚えがあった。
毎夜毎夜教えてくれた。舞い方を。歌い方を。その歌が、今まできいた中で一番の響きを持っている。
「…緋桜…」
小さく小さく、自分の吐息で掻き消えてしまいそうなほど小さく、彼の名を呟く。
だが緋桜は、その歌をただ歌い上げるばかりで舞いを一向に始めようとはしなかった。段々不審に思う者たちが、ざわざわと騒ぎ始める。
佐伯も困惑しているようだ。
とっておきの舞い。彼はそう、言ったのだ。
その意図をくみ取ることが出来ずにいたところで、紫の目に留まったものがあった。
こちらに向けられた、蝙蝠の柄。
それですべてを悟った。
彼は、自分に舞えとそう言っているのだ。ここで舞うことは、緋桜に対しての紫のなによりの意思表示になる。
私、私は…緋桜、あなたと。
「紫姫? どうかされましたか」
「申し訳ございません、佐伯様」
深く深く、頭を下げる。なぜ彼女が急にそんなことをしているのかがわからず、佐伯はその顔に明らかに戸惑いの色を浮かべた。
「私を、愚かだと、馬鹿だと、笑ってくださっても構いません。でも、どうか、お許しくださいませ…」
「突然なにを…」
「本当に、申し訳ございません」
再度三つ指を突いて頭を下げた紫は、重たい十二単で立ち上がり。このままでは邪魔になると判断したのか、単を一枚、また一枚と脱ぎだした。
「紫! あなたなにを…やめなさい、はしたない!」
「ごめんなさい、お母様。でも私は…もう、決めたのです」
歌い続けている緋桜と、目が合う。柔らかく笑った彼は、持っていた蝙蝠を差し出した。
迷うことなくそれを受け取り、笑みを交わして。
「緋桜、私の、ゆずれない思い…きいて、貰えますか?」
彼が頷いたのを見た紫は、ほっと胸を撫で下ろし。
ゆっくりと蝙蝠を、広げたのである。
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