5
家を空けてから8日目の晩、豪炎寺くんはようやく帰ってきた。
「ただいま。留守番ありがとう」
宿直のお父さんを送り出したばかりの僕はキッチンで彼を迎え、濡れた手をエプロンで拭いてお土産の紙袋を受け取る。
「えっ、これ……何で僕が好きなものわかったの?」
しろうさぎ本舗の包みを見て、僕はこらえていた笑顔をついほころばせる。
「わかったも何も………いつも俺に話してただろう」
食べていい?とせかすように訊く僕に、目を細めて頷く豪炎寺くんの顔も、優しく頼もしい“弟”に戻ってる気がして――――
ダイニングテーブルに座る豪炎寺くんにお茶を出し、僕も向かい側に座る。
慣れた二人の定位置だ。
お饅頭を頬張り故郷の話をしながら………他愛ない平和な日常を取り戻した嬉しさを、僕はひそかに噛みしめていた。
「着替えてくる」
一頻り話した後で、豪炎寺くんが立ち上がった。
「あ、待って……」
僕は弾かれたように、自室へ歩いていこうとする彼のYシャツの背を追って席を立つ。
「あの……さ………ごめん」
ネクタイを緩めながら彼が足を止めた。
不思議そうに振り返る豪炎寺くん。その顔を見たら………もうダメだ。弾かれたように駆け寄る僕を、抱くように彼が受けとめる。
「何故謝る?」
「だってこないだ僕、おかしくて…」
「構わない、と云ったろ」
胸に埋もれた僕の頭を撫でる彼の手は魔法だ。
僕の強がりをどんどんほどいてしまうから、気を付けないといけない。
「俺はどんなお前でも受け止めると決めた。兄弟ごっこもやめないし、身体のことも手伝う」
「でも、そんな都合いいこと……」
「お前をそういう身体にしたのは俺だぞ?」
「っ……だめだよ!いつまでも君のお世話になるわけにはいかないし」
「兄弟だろう?世話ならいつまでもするさ」
「………」
もう、彼には何を言ってもダメだ。
滅茶苦茶な理論を平気で押し通してくるのだから。でも元はといえばそれは全部僕の要求したことだ。彼がそれを呑んで筋を通してくるから、余計に困る。
「顔、真っ赤だぞ。抜きたければお前も来い」
「なっ……」
何を思ったのか豪炎寺くんは方向転換して、バスルームに入ってく。
ついていくもんか、その手には乗らないから。
でも“抱く”とか言わずに“抜く”と義務的な表現をして罪悪感を薄れさせるところが、またずるい。
それに、お前も来い…………って。彼こそ急に何してるんだろう。さっきは着替えると言ってただけなのに………。
豪炎寺くんの部屋着を脱衣所に用意してあげながら、シャワーの音だけで疚しい想像をしてしまう僕も僕だった。
「あれ?もう寝るの?」
「ああ。この一週間ほとんど寝てないからな」
冷蔵庫から水を取り出す豪炎寺くんのお風呂あがりの背中を、廊下からぼんやり眺める僕。
「学会は……亜彩さんも一緒だったんだ?」
「ああ」
彼の肯定には、研究室が同じだから同じ学会に参加した、という以外の意味はないのかもしれない。
なのに僕の頭の中には余計なことばかり浮かべていた。
一緒なら彼女と話したり、食事とかもしただろうし………その気になればお互いの部屋を行き来することだってあったかも知れないとか………
「そうだ。来月も外泊の予定があるんだが……」
「そう……なんだ」
「ディズニーランドに一泊。ここに書いておくからな」
「………………は?!」
水のボトルを手に、壁掛けのカレンダーに予定を書き込む彼。
学業以外の話が急に出てきて……それは僕にとって“特別な場所”の名前で………不意打ちに胸が高鳴り、明らかな動揺が襲う。
「亜彩さんと……だよね?」
「何故そう思う?」
答えを返さず質問にすり替えるなんて、らしくない。
問いかければいつも一つ一つ真面目に答えを返してくれる豪炎寺くんがそんな態度を取れば、怪しさ満載だ。
てか、何で僕がそんなことを気にしなきゃならないんだろう?
弟の恋愛なんだし、これは豪炎寺家にとって好ましい流れだ。
しっかりしろ、兄貴の僕。
「俺は誰にも塗り潰されない。俺を塗り潰すの俺自身だけだ」
「………………?」
真っ直ぐに僕を見てそう云うけれど、結局、誰と行くかは答えないままの彼。
神妙な顔で受け止める僕は、謎かけのような彼の返事の意味を呑み込めずにただうつ向くしかない。
ゴクゴクと水を流し込む彼の喉が鳴る音が、妙に耳に残り…………そしてハッとした。
最近忘れていたけれど、豪炎寺くんと出会ったばかりの頃は少し気にしていたんだ。
いちばんくつろげる筈の家の中なのに、ピッチで戦ってるみたいなその渇きを、僕が癒してあげたいと思ってた。
この家を、彼が安心して休める場所にしてあげたい、と。なのに今や僕自身が出口の無い迷路で迷子になってその彼に必死で縋りついている。
そして――――
きっと、彼女のことだ。
亜彩さんは“その日”がくるまでに絶対ギャラリーに顔をだすと思ってた。
幸せな報告をしに、喜びいさんで必ず僕のもとへ。
丁度いい。
そうしたら僕は、引き出しにしまってあるプレゼントを、彼女に渡すことができる。
僕にとっての、気持ちの一区切りとして。
でも、亜彩さんはこなかった。
そう思った矢先に、彼女は来た。僕が一番想定していなかった日に。
それはつまり豪炎寺くんがカレンダーに丸をつけた”その日“の夕方―――――
「あ……れ?ディズニー……」
彼女の姿を見た僕の驚きは、カウンターから立ち上がり、小さな声になって零れる。
その声を拾った彼女は、不思議そうに首をかしげただけだった。
「ディズニーが………どうかしたの?」
その先の会話は覚えていない。
プレゼントを手渡す時の手の震えを押さえるのに自分が必死だったことしか…………
ここに沙彩ちゃんが居たら、こんな僕の身勝手ぶりを笑うにちがいない。
”やっぱ吹雪さんは天使なんかじゃないや“って。
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