12
自分を他人に明け渡しているのは、君だって同じ――――
考えてみれば、吹雪の言う通りだ。
俺は己の道を貫き通せない自分自身に憤り“自由”を渇望していたのだ。
そして今になってようやく原因を突き止めたのは、俺が本当に求める相手に出会ったからなのだろう。
吹雪士郎、お前に―――。
家に戻っても、リビングのソファーに座って下を向いたままの吹雪を横目に、俺は黙って夕食の支度をはじめる。
「さっきはすまなかったな」
「ううん…………僕こそごめん」
地上の食物を口にすると“天使”は少しずつ、人間に戻るらしい。
食事をはじめた吹雪の表情に感情がほんのりと色づいていくのを、俺は何気なく視線を送りながら確かめる。
「あんなことを引き受けたのには、理由があるんだろう?」
「…………ないよ、別に」
吹雪はスープを掬っていた手を止めて、少し気まずそうにまたテーブルに視線を落とす。
言葉とうらはらなその仕草が、俺の問いかけを確信に変える。やはり何か理由があるのだ、と。
だがそれ以上追及しない。
せっかく見えかくれし始めた吹雪の“感情”を、ストレートに追い詰め過ぎてまた見失いたくないからだ。
「それとお前………俺を独り占めしたいと言っていたが……」
「ばっ………」
伏し目がちだった吹雪が急に顔を挙げ、真っ赤になってこっちを見る。
「バカっ……………何言ってんだよっ」
「バカ?お前が言ったんだろう」
過剰な反応が可愛くて、つい頬が緩む。
吹雪は動揺しながらも自分の中で何かを探してるように見えた。たぶん自分の気持ちをより的確に伝える言葉とかを―――
「てかさ、僕が本当に言いたいのは、君が…………ていうか君こそっ………」
見上げる灰碧の瞳が頼りなく潤んでる。
「周りの期待に応えるだけじゃなくて、自分のやりたいことすればいいんじゃないかっ……て………」
「そうだな。これからはそうしよう」
「………んっ」
俺は食事の途中で立ち上がり、テーブル越しに吹雪にキスをする。
行儀が悪い所作と知りながら、規律を乱して吹雪にのめり込みたい衝動に、あえて流されてみたのだ。
小出しにしないと、いつか抑えきれなくなるかもしれないから―――。
「これから俺は、自分のやりたいように生きる。もちろんお前もそうしたほうがいい」
「………」
吹雪は何も答えず、濡れた唇から小さなため息を零した。
口先だけの言葉に聞こえたのかもしれない。
確かにそんな宣言したところで、養われて勉強に励む医学部生という俺の立場が変わる訳じゃない。現実は理想へ安易に覆りはしない。
どんなに肚の底で覚悟を決めていたとしてもだ。
だが今は“伝わる”かどうかは、俺にとって最重要ではなく、心はすっきりと晴れていた。
食事の後片付けをしていると、隣にそっと並んで一緒に手を動かす吹雪の気配を感じる。
「僕…………ずっと、用心してたのにさ。でも君がどんどん僕の中に入り込んできて……」
「用心?俺はそんなに信用ならないか?」
独り言かと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。
「君はどこに行っても期待に縛られすぎてる。フィールドでも、キャンパスでも……家でもがんじがらめでしょ」
横を見ると吹雪は皿洗いをしながら哀しげに呟く。
「だからいつかは僕の届かないところへ、連れていかれてしまいそうで……」
「それは違う」
そう思わせていた俺が悪い。だが俺が離れていくことを怖れるような口振りは、正直してやったりでもあった。
「俺はどこにもいかない」
「……………そう」
恋する男は単純だ。こうなると素っ気ない返事すら可愛く思える。
「でも僕のそばにいたって君は、なんの得にもならないんだよ」
吹雪は全然こっちを見ないが、拗ねたように頬が膨らんでるのが可愛すぎて、つい意地悪を言う。
「お前は得をしたくて人を好きになるのか?」
「違うよ………ってか、わからない。好きになったことないから」
「…………そう、か」
そう来るか。
俺は自惚れていいのか?
舞い降りたばかりの天使は、地上の恋を知らないらしい。
そう云いながらも、はじめてのキスを俺に許し……それからもずっと唇は無防備じゃないか。
「まあ得かどうかは知らないが、俺はお前のそばにいる。嫌じゃなければ、これからもよろしくな」
片付けを終えてエプロンを外しながら、俺は吹雪と合わせた目を細め、その場を離れようとする。
「待って、あのっ……」
吹雪はエプロンで手を拭きながら俺に向き直って訊いた。
「君って……二月の平日二日間くらい……どこか空いてないかな?」
「…………?」
俺のスケジュールのことを云われてるのだと知って、ドクンと熱い鼓動が跳ねた。
二月はテストも試合もないオフだ。
そんなふうに上目遣いで訊かれて空けられない予定など、あるはずがない。
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