11
クリスマス、正月を、吹雪と迎えた我が家は終始和やかだった。
吹雪の柔らかな物腰と笑顔が、父の心も溶かしたのか―――俺との間にわだかまりのあるはずの父も、珍しく自然な笑みを見せていた。
年が明けると、すぐに試験週間が始まる。
実技テストも多い吹雪は、自室にこもって作業に没頭する時間が増えた。ベッドに潜り込んでくるのもかなり遅くなり、俺が寝た後になることもある。
一つ屋根の下で、互いに別の世界に入り込む―――俺はそれを好ましい傾向だと捉えていた。
吹雪は自分の部屋に鍵がないのを気にするどころか、ドアが開いても気づかないほど集中しているのだから。
それがこの家が吹雪にとっての居場所になった証拠だと確信したのだ。
テスト最終週の寒い朝。
明け方まで作業に打ち込んでいた吹雪を、自分のベッドに寝かせたままにして、出かける支度を始める。
身じたくと朝食を済ませ、揃えてあったユニフォームを鞄に突っ込みながら、自分の奥底の渇望が和らいでいることに、ふと気づく。
サッカーの力を借りなくても、吹雪を思うたび心が熱く潤っている。
たぶん俺たちは、相互補完の関係なのだろう。
色んな場所に点々と預けられ、ふわふわと不安定だった吹雪の魂も、俺のもとでは何の役割も演じなくていい。まぎれもない吹雪の“居場所”だ。
この場所で吹雪は、集中している作品づくりなどをとおして、少しずつ“自分らしさ”も育んでいくといい――――そんな良好な変化の兆しに、思えば俺は浮かれすぎていた。
“吹雪らしさ”という“危うさ”に、もっと注意を払うべきだったのだ。
その日も夕刻までは、テストを受けたり別の課題の消化に勤しむ通常どおりの一日だった。
研究室で終業の区切りを知らせるチャイムの音に、PC画面から目を離すと、ガラス張りの向こうの暗い曇天が目について、ふと吹雪を思い出す。
美術部の手伝いで、帰りが少し遅くなると言っていた。
俺ももうしばらく残って一緒に帰ろうと思い立ち、携帯を手に取ったが、呼出音が続くだけで吹雪には繋がらない。
時間を置いても、同じ結果だった。
「あれ、兼持どしたっけ?」
「部活で遅れるってさ。てかアイツまたアヤシイ会だろ」
「ヤバいよな。しかも今度のお気に入りはさ……」
「えっマジ……男?」
携帯を耳に当て呼出音を聞いている俺の横を、コンパに出かける三年の連中が通り過ぎていく。
一旦聞き流した会話がふと引っ掛かり、脳裏で反芻する―――次の瞬間、俺は猛烈な勢いで連中を追い抜き美術室に走り出していた。
“兼持がお気に入りの男”というキーワードに、溢れだすのは嫌な予感しかしない。
「吹雪――!」
予感は的中した。
破らんばかりの勢いで開けたドアの向こうには、見知らぬゴツい男と絡み合う白い裸体。
「何してる!離れろ!」
デッサン中の状況なんて目に入らない。
スケッチブックを手にした女子が取り巻く輪に割って入り、俺は絡み合う二つの裸体を強引に引き離した。
「何……って……ただの絵のモデルだよ?」
激昂を露わにする俺に、吹雪が冷静に答える。
こっちを見てるが見ていない。魂をを遠くに飛ばした、感情の無い目で―――
「ただの……じゃない。どう見たって如何わしいだろ!」
白いTバック一つで裸同然の吹雪を、俺は夢中で脱いだ自分の上着でくるんだ。
「何だ?豪炎寺も3P参戦か?」
「兼持………」
近づいてくる兼持を、俺は睨みつける。
「まあ落ち着けって。これは美術部女子たちの真面目な取り組みなんだからさ。絡み合う男同士のデッサンの貴重な機会で……」
「取り組むのは勝手だが、吹雪を巻き込むのは止せ」
悔しさとやるせなさと怒りが滲む声。言葉が荒れていることすら自覚できてない。
「おい、待てって。まだ途中……」
「続きはお前たちだけでやれ」
先輩に対して不適切な捨て台詞を残し、俺は吹雪自身と荷物を抱えて部室を後にする。
そして建物の裏で服を着せながら、吹雪を抱き締める。
腕の中に閉じ込めていないと感情が暴発しそうだったから。
縺れたまま焦げついていく、行き場のない欲情。
そうだ、怒りじゃなく欲だ。今俺の大半を支配するのは独占欲。
吹雪の肌を自分だけのものにしたい。
他の奴に触れられるのも、見られるのさえ許せない―――
「恥ずかしいよ……僕一人で歩けるのに」
「駄目だ。今は俺から離れるな」
信号待ちでも繋いだ手を離さない俺に抗議する吹雪を抱き寄せて、白い額に烙印のようなキスを押しつける。
「怒ってるの……?」
「違う」
やきもちを妬いているだけだ、と瞼を撫でる唇で呟く。
もう隠せない。破裂した感情の隙間からボロボロと本音が零れ落ちるのだ。
「え……やきも……ち?」
「そうだ。されるがままに自分を他人に明け渡すのは、もう絶対にやめろ」
一番格好をつけたいはずの相手を前に、出るのは懇願の言葉しかない。
「俺が…………苦しい」
愛とはこんなに情けないものなんだろうか?
「苦しい?……なんで………君が?」
「お前を誰にも渡したくないからだ」
きつく抱き締めすぎただろうか。
吹雪の身体がびくりと震えて竦む。
「…………」
答えは返らないまま、信号が青になる。
一歩踏み出す俺に遅れて、肩で息をついた吹雪から意外な返事がぽつりと漏れた。
「自分を他人に明け渡してるのは、君だって同じじゃないか」
俺はドキリとして、耳を疑った。
「僕だって君を……ひとりじめしたいのに」
と、確かに聞こえたからだ。
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