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「よお、早いじゃん」
翌朝、練習に入ったアツヤは豪炎寺の姿を見つけて目を丸くする。
集合にはまだ全然早い時間なのに、もうアップが済んでいるようだった。
「もうやる気満々……ってか、帰る準備万端って感じだな」
白恋のユニフォームじゃなく、黒に赤ラインのジャージを身につけた豪炎寺を目で追いながら、アツヤはからかうように言う。
「やっぱアンタはさあ、どう考えても白よりそっちのが似合うぜ」
「東京が恋しいか?」
「…………」
ほとんど返事をかえさないのに、自分のメニューをこなしながら何かと後をつけ回してくるアツヤ。
豪炎寺の方もそんな干渉に慣れ、面倒臭さの裏に少しだけ愛着も芽生えつつあった。
「それにしちゃお前も結構長居したよなぁ……アニキにほだされたんだろ?」
「…………」
基本冷やかしには無視を決め込む豪炎寺だが、士郎の話題にはどうしても聞き耳を立て、眉が動く。
「発つのは今日だよな?」
「ああ、その予定だ」
チケット手配の連絡がまだ協会から来ていない。
断言したのは、仮に発つのが明日以降になったとしても、染岡が合流した時点で白恋からは離れるのだから、同じことだからだ。
「お前なんか……早く消えりゃいいんだよ」
グラウンドでドリブルの調子を確かめる豪炎寺の精鋭な足捌きを見ながら、アツヤは捨て台詞を吐いた。
「すっげー邪魔。決勝トーナメントで戦う相手はお前じゃねーのに、プレー見てると……倒したくてウズウズしちまうからよ」
「それは光栄だな」
背中に掛かる投げ遣りな声に、豪炎寺が立ち止まって振り返る。
「誉め言葉として受け取っておこう」
「あーあー勝手にどーぞ」
アツヤが豪炎寺のドヤ顔から目をそらすと、士郎がグラウンドに入ってくるのが見える。
と、同時にすでにそれを捉えている熱い視線に気づいて辿れば……豪炎寺の真摯な横顔があって、アツヤはため息をついた。
「ま、お前が来て白恋の戦闘スイッチ入ったのには感謝すっけど……」
アツヤはその場を離れるついでに豪炎寺の腕に肩をぶつけて、ドスのきいた声で言い残した。
「アニキと付き合うのはゼッテー認めねぇからな。手ぇ出したら即協会に訴えるぞ」
平然と無視を決めこんだが、その言葉は豪炎寺の胸に重い楔を打つ。
わかってる。
わかってはいるけれど、そんな理性の壁なんて、士郎はいともたやすくくぐり抜けてくるのだ。
軽やかに、くすぐるように甘酸っぱく……
「……おはよ」
「ああ、おはよう」
グラウンドで士郎が豪炎寺と交わしたのは、今日二度目の挨拶だ。
一度目は起きてすぐにLINEでやりとり済みだったから……
「少しだけ練習に合流しない?」
「いや、遠慮しておく。大会間際に俺が入れば、仕上げの邪魔になるからな」
……おかしい。
口にしながら豪炎寺も、違いは自覚している。
アツヤたちに発するよりも甘く……熱が入る声色。それが制御できなくて、内心焦るのだ。
「でもさ、時間はまだ……あるよね?」
「ああ……無くはないが」
近づいてくる士郎に、豪炎寺が向き直る。
協会からチケットが届いてない以上、有るとも無いとも断言はできなかった。
「よければ僕らのフォーメーションや連携を見ていって。後でアドバイスが欲しいんだけど、いい?」
「……わかった」
それは不確かな約束だった。
協会の都合で事前に連絡もなく、タクシーで迎えが来るときだってある。
本来ならもういつでも帰れるように、ホテルで荷物を纏めて待機していてもいい状態だ。
体が鈍らないようにグラウンドに来ること位は許容範囲だとしても、守れるかわからないその後の約束をしてしまう自分は、やはりどうかしてる。
「よかったぁ、じゃあ夕方君の部屋にいくね」
「……部屋?」
「そ、SIRATOYA RESORT。白兎屋特製の紅白饅頭を持ってくから……一緒に食べよ♪」
サッカーの話なんて、ホテルで改まってしなくても、部室のミーティングスペースあたりで済ませればいい。
断れないのは、相手が士郎だから。
自分の中で完全に士郎は特別扱いだった。
押されれば無理を聞いてしまうし、あわよくば無理を押し付けたい……って、俺は士郎にどんな“無理”を望んでるんだ?
この期に及んで、まだ派遣校のキャプテンに疚しげな気持ちを燻らせていることに、我ながら呆れる。
「はぁあー、暑ぢぃわーー着替えー!」
「…………」
難しい顔で何やら考えこんでる風の豪炎寺の横を、脱いだユニを鷲掴みしたアツヤが上半身裸で通りすぎていく。
見向きもしないどころか、気づきもしていない豪炎寺を、士郎は不思議そうに見つめていた。
僕とアツヤ、体つきも肌の白さもほぼ同じなのになぁ……
変なの。豪炎寺くん、僕のことはすごく見てきたり、かと思ったら露骨に目を逸らしたりするくせに。
練習が始まると、いつのまにか豪炎寺の姿は見えなくなっていた。
スタートから白兎屋親子と染岡が合流したからだろう。
形だけすべて元に戻ったグラウンドの光景。
ただ、心の真ん中に残る頼りなさが、今は良い意味で自分をハングリーにしてくれる気もする。
きっと、彼もどこかで見ていてくれるから―――
移動日を考えると実質ラスト三日。
最後の詰めに向かい、士郎はピッチの前で選手たちを集め、円陣を組んだ。
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