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early spring3

アポを取っておいたはずなのに、まるで突然の訪問者のように迎えられた。
驚いたのはお互い様だった。

電話ではサクサクと切れ味鋭く威勢が良かった相手が、いざ対面すると柔らかい透明感を纏った可憐な青年だったのだから―――。

豪炎寺を笑顔で招き入れながらも、時折困惑したように翳る瞳も綺麗で心揺さぶられる。

結局“吹雪”と名乗って話していた電話の相手は弟の方で、今日豪炎寺が会ったのは同じ“吹雪”でも兄の士郎の方だったというわけだ。
そして同時に士郎は前日の下見で目を奪われたサッカー部の指導者でもあった。


職員室で借りた士郎の隣の机。
仕事をしている間も、たまにこっちを見ているくせに……顔を向けると目が合うのを避けるようにそっぽを向く。

ここでの仕事がやけにはかどるのは、部屋が静かなせいだけじゃない。
さっき見た白恋サッカー部の練習内容の斬新さとか、士郎の指導センスや生徒たちとの信頼関係など……興味深さがプラン作成の後押しをするのだ。
それとこうしている間にも、隣から時折零れる小さな吐息や、微かに身じろぎする音が、快い刺激になって心を擽る。


気づけば夕方になっていた。
豪炎寺は職員室の壁時計を見ながらノートPCを閉じた。

「終わりましたか?」

「……ええ、だいたいは。続きはホテルに戻ってからで……」
士郎の方を見た豪炎寺が、目を見開く。

もうすでに士郎の机がきれいに片付いていたからだ。

「すまない。待たせてたのか」

「……別にいいよ」

士郎は豪炎寺がスーツの胸ポケットから携帯を取り出すのを見守りながら訊く。

「どこにかけるの?」

「帰りのタクシーを呼ぶんだ」

待たせたことで慌てているのか、口調は丁寧だが敬語が消えた豪炎寺に、士郎は親近感を覚える。

「あ……待って」

戸締まりの準備をしている士郎を気遣ったのだろう。
繋がった電話を手に、コートと荷物を持って廊下に出る豪炎寺を、士郎は軽やかに追いかけた。

「……もしもし。配車を頼みます。場所は……」
「いいよ。呼ばなくて」

「……?」

「この辺はタクシーも全然走ってないし、今から呼んだってどれだけ待たされるかわからないから……」

手首の内側に添えられた冷たく華奢な手に操られるように、豪炎寺は配車を断り通話をオフにする。

「どういう訳だ? 宿直しろとでもいうのか?」
「違うよ。僕の家に泊めてあげてもいいかな……って」

「……?」

冗談めかしたつもりが、輪をかけて返ってくる意外な答えに……どう反応したらいいのか、さすがの豪炎寺も困惑の色を浮かべている。

「君は“お客さん”じゃないんだよね?」

仕事仲間だと言ってくれているのだろうか。
午後の数時間並んで仕事をした連帯感からなのか、とにかく士郎の口調から親しげな距離感を読みとった豪炎寺は、思わず首を縦に振る。
いろんな意味で……願ってもない申し出だった。


「ここのこと……不便な町だと思われたくないんだよね」
「便利さだけが過ごしやすさじゃないだろう?」

シャワーを済ませた豪炎寺にビールを勧めると、またカウンターの向こうに入っていく士郎。
ビールを飲んで先にくつろぎながら料理が出てくるのを待てというのか……昭和の関白亭主でもあるまいし。

「まあ正直……君がタクシー待ってる間、僕も帰れないから困るし……わぁっ!」

鍋の出来具合を覗いていた士郎が背筋を張って驚く。

「ちょ……っ、何っ?」

「このカセットコンロ、向こうに持っていくぞ」

「あ……りがと……」

アツヤと二人暮らしの2DK。ここでの食事当番は常に自分だから……料理に集中してるとき誰かにキッチンに入ってこられてギクリとしたんだと思う。

ぐつぐつ煮立った土鍋を運んでもらって、自分は取り皿と箸を持ってきて席につくと、グラスを渡されてビールを注がれる。

「乾杯」のジェスチャーとともに、ビールを飲み干す豪炎寺につられて自分もグラスに口をつける士郎。
飲む気はなかったのに……
喉が渇いていたんだろう。久しぶりのビールがとても美味しく身にしみた。

「さあ、鍋も食べ頃かな」

そう言いながらいち早く箸を伸ばしたのは士郎の方で。
取り皿に野菜と魚介をきれいに盛りつけると「どうぞ」と豪炎寺に渡す。

「……ありがとう」
クールな奴かと思いきや、随分と世話焼きが板についている。
豪炎寺は士郎を見つめた。
食卓でも着けたままの薄い水色のエプロンや、捲ったままの袖。
つい心地よく甘やかされてしまいそうな、士郎の清楚な良妻風の振る舞いに浮き立つ心は否めない―――


ビールをちびちびと飲みながら向かい合う相手の様子を見守り、皿が空くと「お代わり取ろうか?」と首をかしげて訊くのが可愛い。
アルコールのせいか頬がほんのりピンクに色づいているのも何だか……なまめかしくて。

「俺のことはいいから、お前も食べたらどうだ?」

「…………」

「旨いぞ」

「……そう?」

「ああ、絶品だ」

大真面目に褒められて気をよくした士郎は、ようやく自分の箸を取る。

「あっ、このホタテは美味しそう。食べていいよ」
自分が食べている間も、美味しそうな具材を見つけると豪炎寺の皿にのせたりして……世話焼きに忙しい士郎。

外向きのクールな顔とのギャップは……豪炎寺にとって食事よりさらに絶品だった。


「あとは俺が片付けておくから。お前は寝る支度でもするといい」
「えっ、でも……」
「俺は客じゃないんだろう?」

満たされた食事のあと。ほろ酔いでぼんやりしている士郎を前に、片付けを始める豪炎寺。
耳打ちした時ぶるりと震えた身体がいかにも敏感そうで……頷く白い首筋をまじまじと見つめてしまう。



「わ……完璧」
風呂上がりの士郎は、きれいに片付いた食卓とキッチンに思わず感嘆の声をあげた。

「あ、君の寝る部屋はそっちね」
着替えのサイズが合わなくて、歯ブラシとハンドタオルだけ手渡しながら士郎は奥の部屋を指す。


「おやすみ」と言い合ってその部屋のドアをあけると、士郎の甘い香りに擽られた豪炎寺の胸がドクンと大きく脈を打つ。

「あ、ズボンはシワになるから脱いで寝なよ〜」

背中に届いた士郎の屈託ない声に返事を詰まらせたのは、心身の奥に渦巻く疚しい本能のせいだ。

 
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