breeze1
目覚めたばかりの朝。
昨晩の出来事のどこまでが現実だったのかわからない。
彼が白恋に住みたいと言ってくれたことも……夢じゃなかったんだよね?
豪炎寺の端整な寝顔を見つめながら、士郎はきのうの夜の出来事を反芻する。
この男と出会って以来、急速に自分の心を埋め尽くしたこの気持ちが“恋”というものだとしたら―――
“すき”というより“必要”に近いかもしれない。
「補給したい」と物慾しげに掻き抱かれた。情熱的に身体を繋いで吐き出した後、満たされた顔の彼に「癒された」と呟かれて、胸を熱くして。
結合を解かれたときの身体の頼りなさは、もう次の交わりへの渇望の始まりだ。
「おはよう」
「あれ?早いね、まだゆっくりしててもよかったのに」
「こんな旨そうな匂いの中で寝てられるか」
照れているのか、いつも紳士な豪炎寺が少しぶっきらぼうに答える。
「……ふふ。昨日の夕飯は結局食べそこねちゃったもんね」
だから朝食はボリューム多めに作った。
焼き魚にほうれん草のお浸し、卵焼きに具だくさんの味噌汁……どれも士郎の自信作だった。
「シャワー借りるぞ」
「どうぞ」
下着にシャツを羽織っただけの豪炎寺の半裸にドキリとした士郎は、面食らったように目をそらす。
「あの……君、今日は仕事?」
「いや、休暇だ」
「どっか……行きたいところある?」
といっても桜も見たし、わざわざ足を運ぶほどの観光やグルメやレジャースポットがあるわけでもないのだが。
「放牧の羊……だったか」
脱衣カゴに服を放り込みながら、開いたドア越しに豪炎寺が答える。
「え……?」
「案内してくれる約束だったろ」
「あ………うん」
覚えててくれたんだ。
律儀な彼に思わず苦笑が零れる。
「羊だけ……でいいの?」
「ああ。あとはお前とゆっくりできればいい」
ドアが閉まる音、そしてシャワーの音が聞こえはじめた。
羊なんて士郎にとっては日常のひとつだ。
羊を見ようだなんて、何もせずゆっくりしようと言われたのと同じだけど、その拍子抜け感がなぜかとても心地いい。
車でも登れる丘陵地のてっぺんに車を停め、そこから数分歩くと一気に視界が開ける場所に出る。
羊の群れが広がる丘を見下ろせば、緑のはずなのに一面ふわふわのアイボリーに埋め尽くされている。
「壮観だな……」
感心しながら景色に見入る豪炎寺の横顔を見て、やっぱり都会の人にはこういうのが新鮮なのかな……と改めて思う。
僕の日常は、まだまだ彼の非日常。
いつか重なる部分が増えていって、二人の日常になっていくのだろうか―――
外から柵に浅く腰かけて、のどかな景色を眺める士郎の傍らに豪炎寺が立つ。
好きな人と佇む日常のヒトコマは、なんだかやっぱりまだくすぐったいような違和感がある。
「士郎」
「なに?」
振り返った瞬間の士郎を、スマホのカメラに収める豪炎寺。
名前を呼ばれて仔犬みたいに素直に振り返った自分の目の輝きも無防備な笑顔も、らしくない気がして、恥ずかしさが一気に込み上げる。
「ちょっ、今のダメ。反則!」
「俺は何のトリックも仕掛けてないぞ」
「もうっ。じゃあ君のも……」
士郎も負けじとスマホのカメラを向けるが、彼は動じず美しい笑みを浮かべてる。
綿菓子の白い丘に溶け込んだファー付きコートの士郎も、青空を背にした赤のジャケットの豪炎寺もどちらもすごく絵になった。
「ちょっと逆光。君もこっち来て」
綿菓子の丘をバックに2ショットの自撮りを試みる士郎。
「貸してみろ」
「……ひゃっ!」
リーチの長い豪炎寺に任せた撮影は、ボタンをタップする瞬間、ほっぺにキスされて。
「すまん。美味そうでつい」
「も〜やだ。こんなの待ち受けにできない」
「待ち受けにするつもりだったのか?」
「違……うけどっ!」
クックッと愉しげに笑う豪炎寺を上目遣いで睨む士郎も、どことなく晴れやかな空気を纏ってる。
「なあ……」
「………」
「お前の……心のわだかまりは、もう解けたのか?」
「わだかまり?」
きょとんとして見上げてくる士郎に、豪炎寺は微笑みを返す。
「お前にとって俺はまだ、隙につけこんで深い関係を迫り、ビジネスパートナーとしての信頼を恋愛感情で塗り潰してるように見えてるのか?」
何を思ったのか、いつか士郎がぶちまけた拒否反応を、さらりと蒸し返す豪炎寺。
「君には散々つけこまれてるよ……でも……」
不思議と胸が苦しくない。
今までいろんな人からいろんな好意を向けられてきたけれど、そのとき常に感じていた居心地の悪さは、豪炎寺に対しては全くないのだ。
「それが……君だとうれしい……っていうか……」
正直な気持ちが零れる。
取り繕ったり飾ったりする余裕はない。
「それって……変かな?」
「いや。少なくとも俺にとっては好都合だ」
正しいか間違いか……ということでは無い。
お互いにとって好ましいことなのかどうかだけ……そういう豪炎寺のスタンスが、士郎にもしっくり馴染む。
「今のうちに……俺の気持ちを何か形にして贈りたいんだが、いいか?」
「今のうち、って何だよ?」
「お前が俺に靡いてるうちに、だ」
士郎は思わず苦笑した。
この人なら、たとえ彼への気持ちがなくなったとしたって、それを責めたりしないだろうと思った。
「あ、指輪はダメだからね。案外目立つし、生徒に見られたら大騒ぎになるから」
指先をじっ、と見られてるのに気づいて士郎は両手を後ろに隠して向き直る。
「……じゃあ何がいい?」
「ネックレス……とか?」
「ピアスはどうだ?」
どうやら豪炎寺は士郎の耳がお気に入りみたいだ。今だって喋りながら耳朶を唇で挟むから……熱い息づかいが鼓膜や肌を伝わって、士郎の身体を甘く痺れさせる。
ピアスなんて自分には無縁だと思ってた。
たしかに……つける場所によっては髪に隠れてわからないだろう。
そして、職員室でひとり頬杖をついたときに指先が触れて思い出し……豪炎寺の愛撫とともによみがえってきたりして……
「だっ、ダメ。開けるの……痛そうだもん」
士郎はドキドキしながら離れた。
「両親からもらった……大切な身体だし……」
離れる間際に吸われた耳朶が熱い。
「確かに。それもそうだな」
豪炎寺は納得して頷き、アクセサリーの話はそれ以上続くことはなかった。
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