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bloom4

『花見? 桜なら札幌でも咲いてるだろ』
『うん……でも今年はここで見たいんだ』

呆れ顔のアツヤを士郎が見送ったのは昨日のこと。

僕、何やってるんだろ―――。
あてもなく彼を待ってるなんてガラでもない。
毎日やりとりしながら、いつ戻るのかすら聞けないでいるのに。


GWに入って早々に桜が見頃になった。
最終日の一日だけ休日。その前日は部活がなく、士郎は日ごろ後回しになっている雑用をゆっくりと片付けて過ごした。

部活の予定はプログラムに投入してあるので、東京で豪炎寺も見ているはず。そのせいか今日はメールが一通も届いていなかった。

仕事の最後に、士郎は選手別の4月のデータを取り出して、一つ一つ丁寧に眺めた。
彼らがフィールドにいる時には直接の指導を優先するのだが、こうして落ち着いた時間に客観的に見れるのは便利だった。


「さて……と」

学校のことはこれで区切りがついた。
定時に帰れるなんて、一年のうち数えるほどしかない。
こんな貴重な時間は有効に使わないと……。
明日は朝一番からベランダ菜園に新しい野菜を植えられるように、今日はホームセンターに苗を買いにいこうかな……などと考えながら士郎は帰途につく。

不思議な感覚だった。
まだ6時にもなってないから、帰り道がまだ明るいのが珍しくて。

だから……ついでに幻でも見てしまったのかと思った。

夕日にぼんやりと照らされた丘の上の二階建ては、見慣れた士郎のアパートだ。
階段を上ると、スーツの男が外廊下に立ってるのを見つけてドキリとする。
脱いだジャケットをシャツの捲れた腕に掛け、もう片方の手にあるスマホを眺めてる。
士郎の気配に気づいた彼は、切れ長の瞳を足音の方へと向けた。

「豪……炎寺くん?」

射抜くような強い眼差し。
10日近く会ってなくて免疫が薄れてしまったのか、視線が合うだけで鼓動が加速する。

「おかえり。仕事熱心だな。部活の予定が無いからてっきり休みかと思ったが……」
「いつ……ここへ?」

「昼過ぎの便だ」

「で?ここで……ずっと待ってたの?」
士郎は苦笑まじりのため息をつき豪炎寺に歩み寄り、うつむき加減で彼の胸に額をコツンとくっつけた。
「ばか……くるなら何で連絡くれないのさ?」

「今日会いたい、と伝えたってお前の返事はいつも煮え切らないだろ。来た方が早い」

士郎を包む腕の温かさと、頬に伝わる強い鼓動。
待ちわびていた感触に出会えた実感とともに士郎はとろりと目を閉じる。

「っ……あの…」
豪炎寺の唇が近づく気配に、士郎はハッと身をよじった。そしてそのままドアに向きなおり、鍵を解除してドアを開ける。
「荷物をこっちへ…」

豪炎寺は士郎が指した玄関のベンチ収納の横に手荷物を置いた。

「中、入るぞ」
「あ……だめだよ」

引き止められて怪訝そうに振り向く豪炎寺に、ドアノブに手を掛けたままの吹雪がひとりごとのように呟いた。

「桜、見に……行かなくちゃ」



―――どこまではぐらかすつもりなんだ。

もちろん豪炎寺だって、桜のことを忘れていたわけではない。むしろ散る前に白恋に戻れるようにと、少し無理をして仕事を片付けてきた。
だが士郎の顔を見た瞬間、飛散したのだ。抱きしめてキスして肌に触れたい欲求にすべてが押し流されかけたのに―――

その点士郎は冷静だった。
瞳の色は慕情を浮かべて揺れていたのに、まずは何より花見の約束を優先したいらしい。

「ね、綺麗でしょ?」

桜のアーチの前に立つと、水色のシトロエンの助手席では険しい顔だった豪炎寺の表情がようやく少し緩んだ。

「絶景だな。夕日も見えるのか」
「うん。なかなかロマンチックだよね」

桜のアーチの向こうには地平線に消えかける橙色の太陽が半分だけ見えている。

「……ちょっとここで待っててくれるかな?」

アーチの中へと歩みを進めようとする豪炎寺を引き止めた士郎は、一人でまったく違う方向へと消えてしまう。

足止めされた豪炎寺が改めて辺りを見渡すと、ピークを過ぎた桜の下にもちらほらと見物客がいて……ほとんどがカップルばかりだった。
士郎はどこへ行ったんだろう。
ここへあえて連れてきておいて、はぐらかす意図がわからない。
焦れったさにかられながらも、沈む間際夕日が一筋の輝きになっていく美しさになんとなく目を奪われていた時だった。

風が吹き、花吹雪が舞い散る。
薄いオレンジの景色の中で幻想的に舞う花びらの向こうに士郎の姿を見つける。
綺麗だ―――
豪炎寺の視線はアーチの向こうから歩いてくる士郎に、ずっと釘づけだった。

士郎は豪炎寺の前で立ち止まって笑いかけ、くるりと後ろを振り返る。

「あ〜あ。夕日が沈んだとこ見れなかったなぁ」

「肝心なときに姿を消すからだろう?」
豪炎寺は士郎の華奢な背中を抱きしめながら耳元を撫でるように囁く。

「あ、そうだ。これ……飲む?」
快感にぞくりとした士郎は、慌てて飲み物を差し出した。
「桜しるこ。シーズン限定のここの名物さ」

「……ありがとう」
背中越しに渡された桜の花びら模様の缶を、微妙な顔で受けとる豪炎寺。

「桜餅の粒つぶが入っててさ……甘味控えめでなかなか美味しいんだよ」

「…………っ」
これで “甘さ控えめ” だと?
豪炎寺はむせそうになるのを我慢して数口喉に流し込む。

「ふふ、やっぱり君はこっちがいいかな?」
士郎のいたずらっぽい声とともに、豪炎寺の鼻先にコーヒーの黒い缶がふわりと浮上した。
「交換しよっか」
「……ああ、頼む」
向き合って渋い顔で缶を交換し、ブラックを開栓して飲む豪炎寺。

「……楽しいね」
士郎は豪炎寺の隣に来て凭れるように肩を並べて呟いた。

「じつはね……この場所にまつわる恋のおまじないを試したんだ」
「……まじない?」

“夕ぐれ時に桜のアーチの端と端で向き合うと、西に立つ相手は東で向き合う相手を射止めることが出来るんだってさ”
士郎ははにかみながらタネ明かしをする。

「そういうことか。……だがその効力は試せないな」

「えっ、なんでさ?」

豪炎寺は「分からないのか」と言いたげに眉尻を下げて士郎を見てから、オレンジ色が微かに残る地平線に視線を戻した。

「俺の心はとっくにお前に射止められてるからだ」
少し照れくさそうに熱を帯びる声。
「だから、ここにいるんだろう?」

士郎はハッとして胸に手を当てた。
豪炎寺の言葉に心をぎゅっと抱きしめられた気がしたから。



 
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