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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -




7

自分よりも二回りも大きな狼を片腕でしっかりと抱き締め、ゆっくりと地面に降り立つ。

「やれやれ、我が后は随分と無茶をする。しかし驚いたぞ、お前は狼に姿を変えることができたのか」
『リュディガー…!』

そっとロルフを下ろし、その柔らかく美しい毛並みを優しく撫でる。

「美しいな。お前にふさわしい極上の毛皮ではないか」
「リュディガー…、リュディガー…!」

心の思うままに名を口にすれば、ロルフは瞬く間に姿を人形に変えた。

腕をリュディガーの首に回し、久し振りの夫の腕の中に我が身を預けるだけで離れていた分空いてしまった心が埋まったような気がした。

「リュディガー・ヴァンディミオン…」
「これはこれは侯爵、ご挨拶が遅れ誠に申し訳ない。我妻への丁重なもてなし感謝いたします。この礼は」

アルベルトを見止めれば、リュディガーは恭しく頭を下げた。それに怪訝に眉を潜め、みるみる怒りに顔を歪めたアルベルトがリュディガーに向かい罵倒しようと口を開くのと、目を伏せて深々と頭を下げていたリュディガーが顔を上げたのは同時だった。

「ふざけっ…」
「―――この礼は、今この場で、させていただきたいがいかがかな」

ぴん、と空気が絶対零度に張りつめる。
アルベルトは己の心の蔵にまっすぐに氷の刃が突き立てられたかのような錯覚を起こし、開いた口からは空気しか漏れなかった。

こんな、バカな…!たった一言で、この私が動けなくなるなど…!

今まで幾度となく対面したことがある。その時にどれだけこちらが挑発しようとも凛としてはいたが明らかに自分よりも劣る力の気しか纏っていなかった。
それが今はどうだろうか。自分よりも遥かに大きく、一歩でも動けば四肢が砕け散るであろうかのような力の塊に押し潰されそうだ。
知らずアルベルトの体は震え、歯の根も合わず鳴らすそれを止める術もない。体は恐怖を感じているのに、自分でそうであることに気付かない。

「ば、かな。近隣の国からの弾圧はどうした。今ここに無事でいられる訳がないだろう!」
「貴殿の言う国々とは、全て和平条約を結ばせてもらった。互いに有益な関係を築くのは造作もないことであったぞ」
「そんな馬鹿な!小国とはいえお前一人でどうにかできる規模の争いではなかっただろう!」
「そうでもないさ」

余裕の表情を見れば、全ての不満や抗争を鎮圧できているのは明らかだ。

「な、なぜだ!その人狼がいなくなって、お前は冷静でなどいられなかったはずだ!」
「貴様と言う男を知っていたからこそ、そしてロルフを信じていたからこそ、私は冷静でいられたのだ。私が抗争を起こす領主たちと力での鎮圧でなく話し合いでの和平ができたのも、ロルフのおかげだ。…それは今まさに貴様が味わうであろうよ」
「どういう…」
「ロルフさま!」

アルベルトの後ろ、屋敷から口々にロルフの名を呼びながらアルベルトに向かい駆けてくる人々は、アルベルトの屋敷の使用人たちだった。

「我が主、どうかお収めください!」
「ロルフ様を、ロルフ様を自由に!」
「我々はどうなってもかまいません、どうか…!」
「ヴァンディミオン王、今のうちにロルフ様を!」
「そして、どうか我が主をお許しください…!」

表情が抜け落ち、人形のようであったはずの使用人たちが騒ぎを聞き付けたのか一斉に現れ、アルベルトのそばに膝をつき懇願をし、さらにアルベルトの事をもリュディガーに恩赦を願う。
これはいったいどういうことだろうか、自分の命令にしか従わぬはずの使用人たちの変貌にただただ戸惑う。

「…皆…」

ロルフが静かに呟く。その声に使用人たちは皆顔をあげてロルフに向かいそれぞれが慈愛の笑みを浮かべていた。

「…なぜ、だ。貴様らは、なにが、」
「それがロルフの力なのだ。侯爵よ、貴殿も本当は己の心の奥に同じ灯火を感じていたはずだ」
「馬鹿な!私は、私は狼風情などただの飼い犬としか」
「そうしてそばに置き、温かな胸に身を委ねたかっただろう?」
「ちが…!」

カッと頭に血が昇り、リュディガーを睨めば傍らのロルフと目が合う。

「…っあ、」

困惑気味の表情からは、アルベルトだけでなく下に仕える使用人たちへの杞憂も含まれ、アルベルトはその目に囚われ言葉をなくした。

この犬は、ここに来てから…いや、来る前からそうだった。自分に対して恐怖を抱く目で見たことがない。いつも自分を見る目は、今のような目であった。
それは、アルベルトがはじめて向けられ、与えられたもの。今まで誰からも与えられず、知らぬまにロルフから与えられていた。

「わた、しは…私は、」
「…ダールマイアー侯爵」

リュディガーに肩を抱かれていたロルフが静かに名を呼べば、アルベルトはびくりと体を跳ねさせた。

「彼等は心を開くとあなたが自分達にとってどれだけ誇れる主であるのかを俺に語ってくれました。力があり、美しく、彼らの誰もがあなたの吸血鬼としての魅力に惹き付けられているのだと。そして、誤解をしないでほしいとも言いました。吸血鬼は確かに力こそ全てと言っても過言ではないほど己のみを信じ、何かあれば力で解決をしようとする。だけど、侵略者ではないのだと。
…そして彼等は、俺に頼みました。あなたをもっとよく見てほしいと。自分達にしたように、あなたと話をしてほしいと」

使用人たちを見渡せば、誰もが自分に向けて見たことがない表情をしていた。ロルフに向けられていた慈愛が、自分にも向けられている。アルベルトはすっかり困惑してしまっていた。力こそ全て。ただそれだけで生きてきたはずだった。

「でも、今さっき、俺はあなたを気遣える余裕なんてなかった。
あなたが俺の子に向けた力は、決して許せなかった。だから…俺にあなたになにか言う資格なんてないから…」

それ以上言葉が思い付かないのだろう。ロルフは唇をかんで俯き、拳を握りしめた。
その姿に、手を伸ばしたくなった。今すぐ駆け寄り、身を寄せたいと。
だが、それができないのはプライドなどではなく、ロルフの『許せない』と言う言葉のせいだった。それにひどく傷付き、決して己の手に入らぬと思い知らされた。無理矢理に奪えば、ロルフは自分の知るロルフではなくなる。人形でよいと思っていたはずの自分が、人形ではなくロルフであることが重要なのだと、その時に初めてアルベルトは自分の心の変化を認めた。
そんなアルベルトの様子を見たリュディガーが、今までアルベルトに向けていた覇気を緩めた。

「…礼は、ロルフがしたようだな。ならば私からはなにもすまい。だが、侯爵。貴殿には反乱を促したという罪が残っている。それは王として見過ごすことができぬのでな。
貴殿からは侯爵位を剥奪、この地は民のものとする」
「ヴァンディミオン王…!」

使用人たちから絶望にも似た悲しみの声が上がるが、リュディガーはそれを片手をあげて制した。

「だが、これほどの美しい城と花園は管理する者が必要だろう。貴殿にはここの管理責任者としてこの地にとどまり、貴殿に仕えるものたちと共により豊かな領土へと成長させることを刑と処すがいかがかな?」


悲しみに上がっていた声は一気に歓喜に変わる。アルベルトは自分の後ろから上がる声と、それに向け微笑むロルフにまるで月の光を満面に浴びたかのように心がすっと凪いだ。

今度こそ、完敗だった。

アルベルトは膝を折り、リュディガーへ向かって頭を垂れた。後ろに控えた使用人たちもそれにならい、同じくリュディガーとロルフに向かい膝をつき恭しく頭を下げる。

ロルフは自分の傍らにたつ愛しき夫の手にそっと自分の手を絡ませ、腹を優しく撫でた。

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