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「あ…、え?」
「やだっ、海星くん!お兄さんが来るなら言ってよぉ〜」
真っ赤になって恥ずかしそうに、女の子はぱたぱたと隣の部屋に駆け込んだ。健吾さんは、何にも言わずに突っ立って俺を見ている。
どうしてこうなったんだっけ?俺、なんであの子と抱き合ってたんだ?
飲み会から帰ってきて、ぶっ倒れて寝てたはずなのに目が覚めると俺はリビングで裸エプロンになっていたさっきの子と抱き合っていた。そこに、健吾さんが帰ってきて。
全く記憶になくて、真っ青になる。記憶はなくても、たった今俺は一番やらかしちゃいけないことをやらかした。
「あ、あの、健吾さ…」
「さっきは失礼しましたぁ」
服を着替えた女の子が、頬を染めながら部屋から現れて健吾さんにぺこりと頭を下げる。
「…ああ、大丈夫。こっちこそ悪いね、邪魔しちまって。しかし知らなかったな、海星にこんなにかわいい彼女がいるなんてな」
ちょっと待って、こんな子知らない。彼女ってなに。俺のお嫁さんは健吾さんじゃないの?
健吾さんの言葉に、女の子は『やだぁ』なんて頬に手を当て体をくねらせている。ふつうの男が見たらドキッとするような仕草も、俺には気持ち悪くて仕方ない。
「まだ、彼女じゃないです。候補かな?、って。今日一緒に飲み会に出てたんですけどぉ、海星くんが『甘い恋人同士みたいなことしたい』って言うから…」
ねっ、と首を傾げて同意を求められても、うんなんて言えない。だって、この子にそんなことしてほしいなんて一言も言ってない。
真っ青になって無言でいる俺に、健吾さんは目も合わせてくれない。誤解を解かなきゃ、って思うのに記憶がなくてなんて言えばいいのかわからない。
「そうか。そりゃますます悪い事したな。せっかく彼女にかわいく甘えてもらってたのにな」
「…!ちが、」
「悪いな、邪魔者は退散すっからよかったら続きやってくれ。じゃあな、お二人さん」
「健吾さん!」
ひらひらと手を振って玄関から出て行く健吾さんを追いかけようと立ち上がると女の子が手を掴んで引き止めてきた。それに腹が立って思い切り振り払うと傷ついたような顔をする。でも、目の前のその子の顔よりもさっき笑って出て言った健吾さんの顔の方が頭に焼き付いて離れない。
「ど、どうしたの?お兄さんに見られちゃったのがそんなにいけないことだった?」
「違う!ちがう、そうじゃなくて…ごめん、俺、そういうことを君にしてほしかったわけじゃない。好きな人にしてほしいっていう話だったはずだよ。酔っぱらってひきこんだのはほんとにごめん。俺が悪い。でも、あの時話してた愚痴は恋人がいない前提じゃなかったはずだ。知っててやったんでしょ?」
段々思いだしてきた。この部屋についてきたこの子は、なんだかんだ部屋に入ろうとしてきて酔っぱらいながらも俺は断ってた。でも、玄関開けてすぐに足がもつれちゃって俺、玄関上がったところで倒れてまたぐずぐずと愚痴を言ったんだ。
『好きな子が…こいびとがさ、裸エプロンしてさ、恥じらってくれるのが見てみたい』
そう言った俺に、その子はじゃあどんな感じか私がやってあげるとかなんとか言って、止める間もなく台所にかかってたエプロンを手に勝手に隣りの部屋に行った。
それであの格好で出てきて、俺の目の前に来て、どう?何て聞いてきて。
じりじりと目の前に来られて、違うって思ったんだ。
拒否しようと肩を掴んだところに、健吾さんが返ってきて。
俺の言葉に、その子はぐっと気まずそうに唇を噛みしめた。まさか俺が思いだすとは思わなかったんだろう。目が泳いでる。
あわよくば、既成事実を作って別れさせようって魂胆だったんだろう。冗談じゃない。
「君にそういう誤解をさせるような、隙を与えた俺が悪い。…でも、俺は好きな人が…大事な人がいるから。ほんとにごめん。」
そう言って彼女を一人残して部屋から飛び出して健吾さんの後を追う。そんなに遠くに行ってないはずだ。しばらく一本道を走っていると、見慣れた大きな背中が見えた。
「健吾さん!」
大声で名前を呼ぶと、びくりと一瞬体を竦ませてからこちらを振り返る。立ち止まってくれてるから、逃げようとは思ってないみたい。それでも急いで健吾さんの前に行くと、俺は健吾さんの腕をぐっと掴んだ。
「なんだ、どうした?」
「…っ、どう、したって…!健吾さん!」
なにかあったのか、と首を傾げて問いかける健吾さんに、ひどい事をしたのは俺の方なのにこの人は何を考えてるんだと腹が立った。
健吾さんは俺のお嫁さんでしょ?旦那様が浮気まがいの事をしてて、どうしてそんな普通にいられるの?
「ああ、さっきのこと怒りにきたのか。悪いな、邪魔しちまって。今日は帰らねえから好きにしろ」
「健吾さん!ちがう、あの子とは何にもないよ!」
必死に言い訳すると、健吾さんは眉を寄せて怪訝な顔をした。どうして。
「どうして…、どうして怒らないんだよ。俺が、俺が浮気してもいいみたいに…っ!」
そんなことを言いたいわけじゃない。そうじゃなくて、俺がちゃんと謝らなきゃいけないのにあんなシーンを見てもなんともない健吾さんに逆に悲しくて責めるみたいな言い方をしてしまう。
「…別にいいさ。それが、お前の出した結論なんだろ。」
「なに、言って…」
「そう言うことだ。彼女、エプロン似合ってたじゃないか。やっぱり女の子だな。小さくて、かわいくて、柔らかそうで。ああいうのは男がやるもんじゃねえな。」
そう言って乾いた笑いをする健吾さんの顔を見て、俺は息をのんだ。
笑ってるはずのその顔は、本当に悲痛で。その顔を見て、俺はどれだけ自分がこの人を傷つけたのかを初めて思い知った。
「すまねえな…、今日は勘弁してくれ」
はは、と笑いながら去っていく健吾さんを、俺は唖然としたまま見送ってしまった。
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