高見沢の真実
晴彦の部屋で門前払いを食らった高見沢は、しばらく佇んでいた部屋の前からやがて肩を落としゆっくりと自室に向かう廊下を歩く。
晴彦に言われた言葉が何度も何度も頭で繰り返され、高見沢は俯き歯を食いしばり下を向きながらただ歩く。
ふと視界に上履きが入り、それが自分の目の前に立つ者の物だと気付いた高見沢は顔を上げ、目の前にいる人物の顔を見てひどい焦燥感にさいなまれた。
「…高見沢、くん」
「羽曳野…」
今にも泣きそうな顔をして自分をじっと見つめる羽曳野に、名前を呟いただけで続く言葉が出てこない。無言で俯く高見沢に、羽曳野がようやく言葉を続けた。
「…最近、元気ないから、心配になって…。」
「…それも、安田から渡された本にあったのか?」
「え?」
「なんでもない、すまない。気にしないでくれ…。」
ついぽろっと出た皮肉に、自分自身で嫌気がさす。
「あの、高見沢くん。よかったら、ご飯一緒に…」
「…ごめん」
高見沢が断ると羽曳野はますます泣きそうな顔をする。だが高見沢は俯いたまま羽曳野を見ようともせずに歩いてその場を去った。
部屋につき、リビングのソファにどさりと座り込む。
ため息をついてしくしくと痛む頭を押さえた。
初めは、本当にかわいい奴だと思った。男の子なのに、華奢でどこか頼りなくて。襲われているのを助けた時に涙を流してしがみつく羽曳野を守ってやらなきゃと思った。
千里に羽曳野とのことを聞かれて正直に自分の気持ちを話したとき、高見沢は千里が見せた表情にひどく驚いた。
千里はいつだって楽しそうにへらへらと笑っているという認識しかなかった。だから、この話だって『へえ〜』といつものように笑って流すくらいだと思っていたのだ。
だけど、一瞬。
ほんの一瞬、千里はひどく傷ついたような顔をした。
次の瞬間にはすぐにいつものようにへらへらとした笑みを浮かべていたけれど、高見沢は千里のあの一瞬の表情がどうしても頭から離れなかった。
それから、高見沢は気がつけば千里をよく観察するようになった。千里にはクラスで特に仲のいい友人はいない。全く会話しないわけではないが、千里とよく会話をしているのはクラスの中では自分だけだと気がついた。それに何だかひどく気持ちが高揚する。
だけど、千里の側にはよく1人の男子生徒がいる。確か、羽曳野と同じクラスだったろうか。
以前も教室でじゃれあっているのを見た。
それは千里がその生徒になにやら無理やり顎を掴まれているときで、見た瞬間にはひどくかっとなったのを覚えている。
その男子生徒と楽しそうに話す千里を見て何だかいらいらした。まるで張り合うかのように、高見沢は羽曳野と一緒にいるようにした。
羽曳野は自分といると本当によく笑う。はにかんだ笑顔だったり、花が咲いたような笑顔だったり。力もあんまりなくて恐がりで、よく自分を頼るその姿に周りの皆も庇護欲をかき立てられるようで、自分もそんな羽曳野を見る度に思っていた。
千里とは、ちがうなと。
千里だったらこんな風に皆に愛想をふりまくような笑顔はしないのに、とか、自分を見てはにかまないのに、とか。
何かあっても、絶対に『大丈夫』としか言わないのに、とか。
ある放課後、羽曳野が一緒に食堂に向かっていると忘れ物を思い出したからすぐに取りに行くと慌てて走り出した。ぱたぱた慌てる姿がかわいらしい。転ぶぞ、と声をかけた矢先に誰かと曲がり角でぶつかったようで助けに向かうと相手は千里だった。
唖然として座り込んだまま高見沢を見つめる千里に高見沢は羽曳野の存在を一瞬忘れ手を伸ばして千里を助け上げようとした。
だが、すぐに羽曳野が痛そうに足を押さえてうずくまる。捻って歩けないらしく、辛そうに高見沢を見上げる羽曳野を軽く抱き上げてやると羽曳野は真っ赤になって高見沢にしがみついた。
そのまま保健室に行く前に、ちらりと千里を見る。
その時、以前に見た、あの傷ついたような顔をしている千里に胸がどくどくと熱くなりとても強い満足感が全身を支配した。思わず羽曳野を降ろして駆け寄りたくなった。
その日、部屋に帰ってから千里と久しぶりにソファで並んで話をした。
羽曳野を抱き上げた時のことを言われ、その顔がどこかぎこちない笑顔なのに気がついてまた気持ちが高揚する。
ふと立ち上がった千里が足を痛そうにしているのに気付いた。
『お前もしてやろうか?』
とわざとからかうように言うと、泣きそうに笑って『ばぁか』と言った。
それを聞きながら、自分が聞きたいのはそんな言葉じゃない、ともやもやした。
ある日の朝、千里が玄関から出ようとして走って部屋に戻る音を聞いた。忘れ物かと思ったが、すぐに玄関の扉を激しくノックする音が聞こえた。いくら外の奴が呼んでも出ることのない千里に何かただ事ではないと焦り、代わりに玄関に出ると晴彦がいた。
『何か用か?』
『…別に。』
自分を見るなり嫌悪を隠そうともせずにそう言い切り、踵を返した晴彦にいら立ちが募った。帰ったことを伝えると千里がひどくホッとした顔をしたのでもしかして、と不安になる。自分の気持ちをごまかすために、千里の頭をぐしゃぐしゃと撫でるといつものように笑って、その笑顔を見て、俺ならずっと笑わせてやれるのに、と思った。
そう思いながらなぜ千里に対して、そう思うのかを高見沢はわざと考えない様にした。
だけど、羽曳野と共に行動するたびにいつも考えるのは千里のことだった。
羽曳野と共に居ながら、羽曳野がする行為一つ一つに対して『そういえば安田はこうだなあ』などとしらず比べていた。そして羽曳野を見ながら千里を思い出し、その顔に笑みを浮かべていた。
自分の中で劇的に変化が訪れたのは、三日後のことだった。羽曳野を探して校舎をうろうろとしていると、ふと視線の先に見慣れた二人を見つけた。だが、その光景に高見沢は思わず身を隠してしまった。
晴彦が、千里を背負って歩いていたのだ。
その光景は、高見沢の心にひどく衝撃を与えた。基本、誰にも頼ることのない千里が、晴彦の背にその身を預けてしかも腕を落ちない様にしっかりと首に回していた。
背負われるものとしての当り前の行為に、高見沢はショックを受けた。
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