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「兄ちゃん!何て事言うのさ!」
「うるさい」
伊集院が帰った後、忍は病室に入れ替わりで戻ってきた晴哉にひどく責められた。真っ青な顔をして歩いていた伊集院とすれ違い、何かあったんだろうと忍に詰め寄り先ほどのやり取りを聞いた晴哉が泣きながら忍を怒りはじめたのだ。
「兄ちゃんはわかってない!なんで、なんで伊集院さんにそんなこというのさ!伊集院さんがどれだけ…!」
「だから、うるさいっていってんだろうが!」
泣いて忍を責める晴哉に、ベッドに潜り込んでいた忍が突然がばりと起き上がって晴哉を怒鳴りつけた。一瞬怒鳴られたことによりびくりと体を竦ませる。すぐに反論を口にしようとしたが、晴哉は、怒鳴られたことよりも起き上がった忍の顔を見て驚いた。
忍は、ひどく苦しそうに顔を歪めて泣いていたのだ。
「思いだせないんだよ…!どんなに思いだそうとしても、何にも!あいつが、毎日泣きそうに笑ってる顔見て俺との思い出話すたびにそれをちゃんと思いだしてやらなきゃって思うのに…、何一つ!どれ一つ!俺の頭に、あいつが大事にしている俺との思い出が、残ってないんだよ!
お前に、何がわかる!思いだしてやりたいのに、思いだしてやれない…!泣きそうなあいつを抱きしめてやりたくても、それはあいつが望む俺じゃないんだ!」
『忍、覚えてるか?』
そう言われるたびに、頼むから思いだしてくれと懇願されるたびに、それに応えてやれない自分が情けなくて、悔しくて。今の俺じゃ、あいつが好きだと言った俺じゃないなら腕を伸ばすことなんてできなくて。
目覚めて初めてあいつを見た時に、しらない奴のはずなのになぜか胸が熱くなった。自分の胸ぐらをつかんで食って掛かるあいつの悲しそうな顔がひどく苦しくて。
毎日やってくるあいつに、思いだしてやれないことが、辛かった。愛していたというのなら。心から想い合っていたというのなら。どうして自分はこんなにもその大事な人を苦しませているのだろうか。
そんな自分が嫌で、『思いだせ』と言われるたびに記憶のなくなった自分ではだめだと言われているようで。
なら、一体記憶のない俺はこいつにとって何になるんだろう。
そう思うと、いてもたってもいられなくなった。
ぎゅう、とシーツを手が白くなるほどに握りしめ、悲痛に顔を歪めて涙を流す忍に晴哉はぐいと自分の涙を拭ってその手をそっと握った。
「…兄ちゃん、伊集院さんの事が好きなの?記憶がない今の兄ちゃんは、伊集院さんの事どう思ってるの?」
「…好き、とかそんなのはわからない。だけど、あいつの泣く顔は、見てられなくて…。あんな顔ばかりさせるなら、って…。今の俺じゃ、笑わせてやれないから…っ」
握りしめるその手が、震えているのがわかる。
そんな忍の手を、大丈夫だとでもいうように晴哉がぎゅっと力を込めて握る。
「…じゃあ、そう言えばいいじゃん。いつだって兄ちゃんは、自分の気持ちは隠さずに伝えてたのに。…ほんとの事言って伊集院さんに見放されるのが怖くて自分から先に逃げちゃうなんて、兄ちゃんらしくないよ。」
そう言われて、忍の涙は止まった。
…俺らしくない?
そうだ。確かに、自分はいままでこんな風に自分がどう思われているかだなんて気にしたことがなかったはずだ。誰に何と思われようと、気になんてしなかった。
だけど、あの伊集院という男にだけは。
失望されたくない。見限られるのが怖い。ひどく臆病な気持ちが先に出て、なら自分から離れてしまった方がましだと思ったのだ。
「兄ちゃん、大丈夫だよ。伊集院さんは、大丈夫だよ。」
泣きながら手を握り、何度も『大丈夫』を繰り返す晴哉に、忍はただ俯いていた。
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